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岡部をじっくり味わおう。

今日は天気が晴れるとの事で先週調べ損ねた旧岡部町を調べに行った。
岡部・・・益々興味を惹かれる事が出てきてかなりエキサイトしてしまった。

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南から張り出した雲が北からの風で押し流されている模様。
この雲の広がりが鷹が大きく羽根を広げたような姿に見えてとても楽しかった。

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元岡部町役場が開くまでの間、利根川の土手の上で赤城山の勇士を見ながらマッタリと。
城館跡に直接関係無いが実に気分がいい。
ただ風が結構冷たくなってきたので、車に乗りながら風景を楽しませてもらった。
写真は榛名山。

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やばいぞ・・・こんな萌える名前の公園があるなんて・・・。
以前調査した時にはこれらの公園の存在を知らずにパスして勿体無い事をした。
ちなみにこれらは小字から命名されている。

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数軒城館跡を回った後、群馬県伊勢崎市の図書館へ。
図書館自体は午後7時までだがコピーが5時までとは予想外だった。
時間ギリギリまでコピーを取り、外に出てみると妙義山の一つ金鶏山に沈む夕日を拝む事ができた。
ちっと電柱が邪魔になってしまったが、久々時間を掛けて日没を見守っていた。

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そして夜になり、埼玉と群馬を往復してくれた我が愛車を綺麗にして帰宅。
西の空に三日月が浮いていてとても綺麗だった。

って事で今日の半分が中世城館に関わる事ではなかったが、それなりに充実した景色を見れて満足満足。

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最近へばり気味.

仕事でちょっとした役職についたばかりに・・・仕事が忙しくなった。
お陰で家に帰っても城館跡の資料を読むゆとりすらないという。

そんな訳で折角の休みなので、今日は熟睡。

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一色氏館(愛知県西尾市)


一色氏館推定所在地


埼玉県幸手市に住んだ幸手一色氏の故郷、というか一色氏一族の故郷。
足利泰氏尾張守に就任した時、吉良庄の地頭桜井判官俊光の娘との間に子をもうけた。
その子が長じて一色公深となったのが始まりであるという。
元応元年(1319)に公深は長男頼行に吉良庄の地頭職を譲って、次男範氏を伴って埼玉の幸手の地に去っていったのであった。
なんか最後がダジャレになってしまったが、今回の探訪で唯一徳川家康に関係ない埼玉移住の三河武士である。

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昨日、西尾市の図書館で資料漁りしていて初めてここ安休寺が一色氏館の有力候補地であると知った。
それで行こうとしたのだが・・・道が狭い、慣れない車なので尚更圧迫感を受けたりも。
狭い路地を抜けたらそこには安休寺の山門があった。
寺って全体的にどうも人を寄せ付けない雰囲気がある、神社は参拝で平然と入っていけるのに。

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いきなり入るのも気が引けたのでグルグル廻りを回っていたら・・・碑を見つけた。
思い切り旧字で「一色氏発祥の地」と書かれている。
これを見てようやく一色氏館候補地に到着したと実感できた。

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周囲は宅地になっている上、一色氏が実質五十年ぐらいしか住んでいなかった為か、有力な遺構はないようだ。
でも石碑の置いてある空き地の一部にはお堂付の土盛りがあり、なんとなくそれらしさはある。

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寺部城(愛知県西尾市)


寺部城所在地


海沿いをしばらく走って再び西尾市に戻ってきた。
正確に言えばつい最近まで幡豆(はず)町だった所で静かな海辺の町である。
次に目指すところは当サイトとリンクしている「城郭写真記録」の成田様お勧めの城、寺部城である。

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寺部城も少し離れた所から案内標識がおかれている。
なんて中世城館跡にやさしい環境なのでしょう、方向音痴な私でも無事駐車場までたどり着く事ができました。

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しかもトイレのご心配までしていただいて・・・恐縮でございます。
先ほど用を済ませていたので、今回は大丈夫。

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城内は遊歩道が整備されていて・・・中世の城を歩いている気がしなくなるかも。
まぁ、この藪のひどい季節にはとってもありがたい設備ではある。

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城内を歩いている内に堀底道を歩いたり、堀切が現れたりと色々と楽しい展開が待っていた。
ただ、歩道になっている所以外は私有地なので立ち入れない所が残念な所か。
でもこの季節は城全てくまなく歩く気がしないので、これで充分。

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夏場にも関わらずこんなクッキリと腰曲輪が拝めるなんて・・・
この城は全体的に草が少なく、日頃から手入れをされているようだ。
腰曲輪の見本写真に使いたいぐらい綺麗である。

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本曲輪には解説および地図がある。
楽々丘城を堪能させていただいた上、丁寧な解説付きとは至れり尽くせりな状態。
全体的に視界を遮る草木が少ないので、中世城館初心者にも優しい。
さすがお勧めの城だけの事はある。

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何よりご褒美はこの景色であろうか。
南の海が本曲輪や二の曲輪から眺める事ができる。
ただ、写真技術が無いためロクな写真が撮れてないのがネックか。

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城を後にし、空を見上げたら・・・なんか晴れてきた。
やはり青空の下城館探訪するのがいい。
そんな事で次なる場所に移動するのであった。

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形原城(愛知県蒲郡市)



形原城所在地


当初埼玉県にゆかりのある武士の館シリーズをしていたのだが、何を誤ってかこの形原城がリストに上がっていた。
松平十八家が紛らわしすぎて間違えたのであった。
うーん、折角近くを通る事だし、ついでに立ち寄ってみた。

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近くまで行くと堂々と案内板が立てられているのには驚いた。
車は・・・今回も路上駐車でございます・・・。

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城跡は現在古城稲荷になっているようで、草ボウボウの城館探訪にはならずに済みそうである。
しばらく案内の通り歩いていくと鳥居が見えてきた。

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ご城内には何故かお稲荷さんの赤い鳥居が連続して立てられている。
これってなんかいわれがあるのか?鳥居はかなりピカピカで手入れはされているようだった。

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赤い連続鳥居の曲輪から見る三河湾はちょっとイマイチだった。
しかし、城跡から海を見るのは初めての経験だったりする。
あまりにも海辺に城を築きすぎて波で喪失した城があったりするが、ここは目の前に港があるから喪失の心配は無さそうである。
また開発の波からも市指定史跡という防波堤ができているようだから心配は薄そうだ。
(それでも強引に開発されたケースは無い訳ではないが・・・)

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階段を上り詰めると古城稲荷があり、そこが本曲輪であるようである。
そこにはかなり大きな石碑と解説板が配置されていて、つくづく愛知県の城は優遇されているなっという印象を受けた。
・・・実は先ほどから自分の周囲に藪蚊が徘徊していたりする。
しかもついてない事に、虫除けスプレーを切らしていたりする。
いつもなら城跡でのんびりメモ取ったりするのだが、蚊に急かされるように城から追い出されてしまったのであった。

ついでに立ち寄った城であったが、よかったなあ。
(曲輪しか遺構見れなかったが)

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