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川窪氏館(埼玉県比企郡小川町)

竹沢氏館より国道254号線を東京方面にちょっと走らせて、川窪氏館へ。
一般的には「武田信俊館」と言われているようだが、ここに住んだ時点では「川窪」姓を名乗っているのでこれに従ってみる。

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川窪氏の館があり、墓所があるのが現在の輪禅寺である。
丁度寺が西から伸びる尾根上にある。

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輪禅寺の山門前より東を見る。
特に意味はないが、国道254号に近いながらも随分とのどかなので、和んだ。
さて、肝心の館跡へ。

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新しく山門脇に作られた解説板は「武田氏」を強調しているようにも。
確かに「川窪氏」じゃ「誰?」って言われてしまうのもオチだし・・・。
写真の鷹の絵、細かいところまでよく書けていて川窪信俊の絵の才能を垣間見る良い機会だった。
(それまで絵を描いている事すら知らなかった・・・)

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墓地の中央には川窪氏の墓所となっており、格式の高い宝篋印塔が建てられている。
笠などに欠損なくしっかりと保存されているのは輪禅寺の歴代住職様に守られていたからであろう。
っと見たいのはあくまで遺構なので、この辺りで遺構を探しに行く事に。

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っと本堂の後ろ(北)にいきなり土塁のような高まりを発見。
更に別角度で見ると・・・

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虎口?
見えなくもないが・・・ちっと微妙な感じがしていたりする。


実は後で尾根を断ち切るように堀があるか確認するの忘れてしまった。
また機会を見てお墓の西側を調べさせてもらいたいものだ。

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竹沢氏館(埼玉県比企郡小川町)

次はちゃんとした館跡をという事で児玉党の一門である竹沢氏の館跡へ。

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雲龍寺の背後にその館跡があるという。
狭い道を車のナビが頑張ってナビゲーションしてくれたので一発で到着。
北は丘、南に向かってなだらかに地形は落ちている。

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雲龍寺の北には熊野神社があり、館跡はこの辺りを指しているようだ。
ではお楽しみの平場を拝見っと・・・

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当然ながら平場は草ボウボウである。
うーん、今日は藪漕ぎする予定がないので平場をちょっと見ただけで撤収。
資料の図面を見ると色々と平場が点在している模様。

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竹沢氏館より南を望む。
ちょっと草が生い茂ってはいるものの、南に開けていていい立地条件だ。
水の手の確認はしなかったが、恐らく井戸ぐらいはあったと勝手に判断。
段々調査がずさんになってきたような??

って事で次の場所へ移動するのであった。

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謎の吉野城

小川町の吉野城は謎の多い城である。
それは3箇所ほど候補地があり、場所が定まっていない事に尽きると思う。
その候補地の一つである万所へ。

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木呂子地区に来た。
右を走るはJR八高線、写真中央が気になる橋なのだが・・・その名は。

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吉野橋。
小字等を調べていないので何とも言えないが、吉野とはこの辺りの通称なのか?
例外を除けばこの辺りが吉野と呼ばれている可能性がある。

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国道254号線と八高線が分かれる辺りにあるこの山。
見るからに砦に相応しい地形ではあるが、後で地図を見てみたら前後の山があって周辺の見通しが悪そうだ。
今回はどんな場所なのかを見るために来たので、登らずにこのまま引き返す事に。
(この時点では「小川町史」を見ていなかった・・・)

って事で次に。

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木部西屋敷

小川町の木部地区はかっての竹沢村の一地区でもある。
そんな木部地区の奥に西屋敷という屋敷があると知ったのは・・・ちょっと前の事。
折角小川町の城館跡を回っているので、この西屋敷へと訪れる事にした。

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車を路肩に停める事も出来たが、ちょっと不安なので官ノ倉山の登山道入口付近まで来て、車を停める。
そこは農業灌漑用のため池になっていて、腰を下ろして今まで回ってきた疲れをちょっと癒す・・・。
湖と森・・・しかも周囲は交通機関から少々離れているので実に静か。
一応マイナスイオンは受けていると思う。

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水面を見ると多くのアメンボが水面を動き回っている。
よく見ていると同じアメンボでも色々種類が居るのに気付いた。
こんな感じで城館探訪の途中にも関わらず、まさかのアメンボ観察をしてしまった。
では休憩もできたし、本題の西屋敷へ。

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先ほどのため池付近より西屋敷周辺を望む。
この辺りは車では行き止まりになるので、通る車も非常に少なく本当に静かである。

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山間の集落の合間を縫って、川が流れている。
その名は・・・

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ズバリ、「西屋敷沢」である。
それにしても本当にこの看板、沢の名前を知るのに役立つ。

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集落の一部に東に向かって段を築いている場所がある。
恐らくここなのだろう。
詳しい事は聞き込みをしなかったので不明のままである。

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なお、西屋敷より下流(北)には三光神社があり、こちらは児玉党竹沢氏の子孫によって創建されたと解説板には記されている。

これ以上に詳しい調査を「そこに城があるから」の方でされているのでそちらを参考に。
して次なる場所へ移動するのであった。

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長尾四郎高勝館?

こちらも「そこに城があるから」の左馬助様のブログを読んで猛烈に行って見たかった所である。
詳しい事は上記のブログを参照の事で。

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確かに「いい形してますね~」という丘がある。
ちょっと民家のまん前を通過するので入り辛かったが、裏の竹山にお邪魔させていただいた。

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前の民家も石積みされていて、これも遺構?っと思える節も。

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ちょっと登った所で削平地登場。
少々狭いが掘っ立て小屋一つ建てるなら全然申し分ない広さはある。
もちろん更に上に上って行く事に。

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こちらもまったくの自然地形ではなく、ある程度人の手が加わった痕跡があり。
それにしても左馬助様もよくここを発見なさったものだ。

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一応作りかけのような堀切もあり、本当はここが土を盛られてさらに深くなっていたのかも知れない。
明確な遺構はこの辺りまでで、北に尾根は伸びているが全て自然地形であった。
あとこの辺りの遺構が余りにも良いので、思わず西の竪堀状の道を撮影し忘れてしまった。

中城も良かったけど、ここもいい意味でテンションを上げさせてもらった。
そんな事で次の場所へと移動するのであった。

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