千馬山城 最近平野部の館跡ばかり訪問していたので、山城が苦手になっているような気がした。 のでせっかくシーズンが到来したので、皆野町の城館探訪をする事にした。 ●千馬山城 意気込みすぎて麓に到着したのが六時少々過ぎ。 外は薄明るくなってきてはいるのだが、カメラの写りはまるで深夜。 そもそも千馬山城を再訪問するのも六年半ぶり。 流石に少々間が空いたためか、他の城跡と記憶が混ざってしまっている。 登り口も思ったより奥に入ったところで、人の記憶の曖昧さを実感できた。 鉄道の勾配標みたいになっているが、一応千馬山城への案内標識。 民家の手前をすり抜けて、登って行く。 しばらく登ると土橋を備えた門跡に着く。 うーん、とても素晴らしい遺構だ、思わず山城のありがたさをマジマジと感じる。 思わずこのあたりで15分も見入ってしまう。 曲輪と土橋&堀切が交互する、実にいい遺構だ。 本曲輪に到着。 相変わらず良い。 そして櫓台の上にてご来光を拝む。 前回見落とした北西の掘切もしっかり堪能。 この先はかなりの急崖にも関わらず、しっかり切ってる所が素晴らしい。 この城で特筆すべき遺構として東側にある二重の堀。 数ある千馬山城の遺構で、ここが一番好きだったりする。 っともうちょっと居る予定だったのだが、急にトイレに行きたくなったので転げ落ちるように降りる。 そんな事で次の城館跡へ。 [0回]PR
見落としから発見へ 今朝は天候悪かったが、午前中に天候が良くなってきたので、先週の蓮田市の続きを。 もし時間があったら周辺の城館跡を探訪しようと考えて訪問してみた。 ●閏戸吹上遺跡(蓮田市) 先週よく分からずパスした遺構、ひとまず大体の場所は分かっていたので訪問。 この近くの老人ホーム建設に先立っての発掘調査にて遺構が発見されたので、おそらくは老人ホームの地下になる。 その老人ホーム以上に気になるのは上の写真の茂み。 綾瀬川の蛇行に基づき、自然堤防もやや蛇行した形状をなしており、茂みのある場所は丁度自然堤防が突き出た形になっていたものと思われる。 しかし、その地形も見沼代用水の開削によって削られてしまっているのが残念。 その北東に位置している久伊豆神社。 鬼門除けとしてこの位置に置いたのだと自己解釈。 蓮田市はこういった自然堤防上に屋敷を構えて河川の監視に当たっていたケースが多いような。 その後黒浜の雅楽谷の場所を調べに再び蓮田市役所へ。 すると・・・まだ小字を見落としていたところがあった。 って事でここからは城館まがい地めぐりへと突入する。 ●黒浜雅楽谷(蓮田市) さて、このあたりが雅楽谷なのだが・・・見事に整地されちゃっている。 ただこのあたりは水田だった可能性もあり、谷になっている方へ向かってみる。 すると、東埼玉病院付近がなんとも怪しげな雑木林になっていた。 しかし、車の停める場所がなく、あえなく撃退されてしまった。 南側のグランドから病院のある森を望んでみる。 このグランドも水田だとしたらいい地形のような、でもちゃんと歩いてみないと分からないものだ。 ●川島上出(蓮田市) ここは今回改めて発見した場所。 注目すべき小字は「上出(手)」~「下出」であった。 こんな感じで来たら、中央はというと「足り」だった。 元荒川に浮かぶように所在する川島地区。 この集落は比較的新しいので、やや厳しい感じだ。 悠久の川の流れを見ているのもいいが、昨日の雨のおかげでゴミがプカプカ浮いているのが今日を削がれたり。 で次なる目的地にむかったとき。 こ・・・これは土塁なのか?? 車で通りすぎてしまったので、急遽折り返して調べ直す。 この「足り」地区のあたりは元荒川が作り出した自然堤防があり、比較的高いところにある。 さらに歩いて見てみると道のクランクまであったりしたので、城館跡である可能性が50%ぐらいまで上昇。 ただ、その大部分は宅地化されているので、土塁はこれっきり。 (正確にいえば堤防と思うのが自然なのかも知れない) 極めつけは東北自動車道を越えて西側の「上出」地区にあるこの塚。 古墳とも思えるが、この周辺の低地を考えると中世期には物見台として利用された可能性もある。 ただ、先の土塁まがいの堤防からこの塚までは600m程距離があり、一つの城館跡として利用されていた可能性は厳しいかも知れない。 これらの塚に土塁が川の真ん中に浮いていれば立派な要害になりうる。 ただ、地名や地形を見ただけなので、難しい所ではある。 ●駒崎中郷(蓮田市) 鎌倉幕府が藤原秀郷の末裔である伊賀氏に送った文書に「正和四年譲状写」があり、それに「駒前(崎)」とあり、この頃から駒崎地域はあったと思われる。 さてここにも「上郷」「中郷」「浮張(風張?)」という気になる地名があったために訪問する。 なお、この伊賀氏は南北朝期になると母国である陸奥国岩城郡好嶋荘にて地頭の岩城氏と争って勢力が衰えて、飯野氏を名乗って代々飯野八幡宮の神主職に就くことになり、現代まで続いているという。 ここに来て、またも久伊豆神社がある。 蓮田市の城館跡を巡るとどうしても久伊豆神社と顔をあわせないといけないようだ。 ここを北東の位置としてみるならば、その視線と見れるのは星久(しょうきゅう)院になる。 この奥が星久院。 自分の勘からするとおそらくここが駒崎の中心だったのではないかと見るが、遺構は見られない。 若干ではあるが土盛りがあって、それらしい雰囲気を出している。 でもその敷地は墓地になっていて、周囲を見渡してみたが城館跡と思える地形は見られなかった。 もしここを館跡とみなすなら、早い時期に使われなくなった可能性を考慮するべきだろう。 ちょっと日が傾き始めているので、蓮田の図書館へ向かった。 ところが今日は5時で閉館になるという。 急いで資料を見てコピーしてきたが、もうちょっと調べ事をしたかった。 [0回]
田んぼの話ばっかりだ 本当は仕事の間なので、かなり無理をして坂戸市の下田遺跡における現地説明会に行ってきた。 数日前に行ったときと違い、作業をしている人がいないので遠慮なく写真が撮れそうでうれしいもんだ。 まずは集まった人みんなで下田遺跡のおさらいをする。 解説員の方が旧入西村の地図で遺構の所在地を指しながら説明。 その後受け付けにて配られた整理券を元に4班に分かれて遺構を歩く事に。 関越自動車道の下をくぐって東側の発掘現場へ。 こちらは本格的な田んぼの遺構らしい・・・。 ついでに地層の話も聞く。 この現場の土は平安時代ぐらいまで遡り、現代に至るまでにかなり埋もれてしまっているのが分かる。 ・・・流石に田んぼの説明を聞くのは飽きてきたので、本命の屋敷跡へ単独行動で行く。 そうそう、こちらの堀跡の方が興味ある。 しかも丁度人が居なくなった所だったので撮影をしてしまう。 これが屋敷内でみつかった井戸らしい。 井戸を覗いた所。 一応水が湧き出ているので井戸であった事が実感沸いてくる。 これが出土した木棺で、中にはちゃんと遺体(遺骨)と短刀が入っていたそうである。 でも屋敷跡と同じような地層で見つかったって事は・・・屋敷の関係者でないような予感が。 説明を聞きたいとは思ったが仕事の時間が迫ってきたので、撤収。 どうやら屋敷跡はオマケで田んぼがメインの遺構だったようだ。 [0回]
お年賀の季節 早朝に起きて颯爽と年賀状を仕上げた。 といってもプリンターがあるので、宛名が書き損じする事が無くなった分だけ早い。 ただ、それだけだと心がこもってないので、一言二言書いて送る。 今回の年賀状のコメントはあまりひねってないので、自分でもイマイチな気分。 以前は年賀状を書くのが億劫だった自分が、近年は書きたくてしょうがなくなっている不思議。 この気持ちを持続しつつ、送れる人を増やして行きたいもんだ。 [0回]
サービス城の憩いの場 今日は早朝より蓮田市を訪れた。 行ったはいいが、早朝過ぎて外が真っ暗で探訪ができず。 車の中で一息ついて、薄明るくなったところで探訪開始。 ●高虫氷川神社 どこかの資料で中世期の遺構というのを入手してきたのだが、出所を忘れてしまっていたという。 早朝の人気のない神社境内でちょっと歩くと・・・堀らしい怪しげな窪みが・・・ いかんな、本当に堀に見えて仕方ない。 しかも本殿より北に歩いたところには食い違いらしい設備まである。 これは他の方のご意見を聞かないとなんとも言えない所。 ●井沼館 菖蒲城主佐々木氏の家臣佐藤内蔵助の館跡と伝わる場所。 久伊豆神社付近は比較的その名残を残すが、それ以外のところは耕地および宅地によって破壊されている。 以前は元荒川を見下ろす要害であったはずだが、工場地帯がその間に出来てしまった為にそれを味わう事は叶わなかった。 次の場所へ移動するついでに以前訪れた歴史資料館の前を通る事に。 そしてその前を差し掛かったら・・・何時の間に資料館は更地に。 蓮田市の歴史資料館に何があったのか!? ●閏戸足利遺跡 知らない人が読むと「あしかが」になるが、ここの足利は「たり」と読む。(以前間違っていた) どうせ遺構はないだろうと数年前は調査を怠っていたが、改めてみると北西の隅のみ雑木林に埋もれながらも明確に遺構を残していた。 だが館跡を縦断するように新幹線が走り、その向こう側が私有地だらけという地形ゆえに調査を断念。 いい意味で意表を突かれる形となった。 ●閏戸堀の内 上記の足利遺跡の近距離にある為に、同族の館跡であったのではと思わせる。 数年前に訪れたときには堀跡を見たはずが・・・今回はまったく見つけられない。 喪失したのか?あるいは遺構と見間違えたか? あと閏戸吹上遺跡というのもあったが、遺構の場所が不明瞭だったために後日に持ち越し。 ●丸城 ストレートな地名「城」とつく。 西城沼公園の東側の小高い丘がその丸城であったようだ。 改めてその周辺を歩いてみたが、思ったより高かった。 しかも沼や低地に囲まれているまさに要害。 遺構も分からなかったが、岡の上を削平して住んだだけの館跡だったのだろう。 その後蓮田市役所の都市計画課にて小字調査をする。 蓮田市の小字は直接城館に関連する地名が少なかった。 そして図書館に立ち寄ってかれこれ数時間も資料を読みふけてしまった。 って事で後半へ ●黒浜堀の内 黒浜小学校の南にあり、小学校との間には谷津がある。 うーん、この雰囲気はいい。 名の通り堀はあるようだが、今回回った時には発見できなかった。 森の傍らには太田道灌の家臣の屋敷林である事を示す案内板もある。 ●宿下遺跡 ここは完全に住宅街に呑まれてアウト。 地形的に元荒川が構成した低地を望む地形が残っているだけであった。 ●桑原堀の内 ここは黒浜堀の内同様低地から望むといい感じに遠景が撮れる。 ただ、遺構自体は宅地化及び農地化の為見ることができなかった。 ●染谷堀の内 完全に低地になった所にありながら、宅地のある所だけ若干高い。 水田がまるで中世の武蔵野を思わせる荒涼とした風景を出していて良かった・・・かも。 ●江ヶ崎城 最後のメインディッシュに江ヶ崎城をチョイス。 主郭は団地になってしまったが、その周辺にはうっすらと遺構が残っていた。 個人的には完全破壊となっていないだけ救われているようにも。 後はさいたま市岩槻区の図書館にて資料を読みふけて終了。 蓮田市もあとは閏戸吹上遺跡と中野雅楽之助が隠棲したとされる雅楽谷を残すのみとなった。 にしても今日はずっと天気が曇りで寒かった。 [0回]