王道から外れた哀れな私 先月末に当サイトとリンクしていただいている「城逢人」の史進様が、廃城をゆくなる本の原稿を書かれたとの事で、やっとこさその本を入手した。 基本的には「天守の無い中世期の有名城郭」をメインに取り扱っている本で、あくまでも城館初心者向けの本として書かれている。 個人的には各城の紹介よりも、中世期の城郭とはこう訪ねて楽しんでますみたいな内容を増やした方が、楽しさも伝わり易いのではと思ったが、もはやビギナーでなくなってしまった自分の視線は一般的な人々の観点とは違う気がしてならない。 もちろん中世期の城館跡は整備されたところばかりではなく、ある意味命の危険を冒さねば行けない遺構もあるので、その負の面もしっかり説明する必要があるのかも知れない。 とはいえ職場での休憩時間に楽しく読ませてもらいました。 史進様を始めとして多くの先輩方に感謝いたします。 [0回]PR
お付き合いの掃除はちっと辛い 今日は仕事の合間ながら、町内会のお掃除に顔出しする事に。 「梅雨時だから雨でも降ってるかな?」っと思ったら大間違い。 外は日差しが強く、炎天下の様相を呈していた・・・。 みんなで一生懸命やって、1時間程で終了。 夏場だから良く草が伸びていたが、これでちっとは綺麗になったってものだ。 普通の生活をしている人の感覚なら、夜中の12時頃に集まって掃除するような物で、結構眠い。 でも、同じ地域の住民として生活している以上、やらないといけない事もある。 まぁ、ご褒美にお茶をもらえたので、それで良しとする。 ・・・にしても眠いのでこれを書き上げたら、早々におやすみするのである。 [0回]
至って何も無い日 一昨日、遺構無き遺構を見まくったお陰で、今日は何もしなかった。 といっても仕事があるために、疲れを癒すべく寝てただけ。 日記に書くような事でもないが、忘備録を兼ねて書くとする。 うーんと・・・他には思い切り仕事場で滑って、派手にコケたぐらいかな。 幸い臀部(俗に言うケツ)の肉がしっかりガードしてくれていた。 これもたまにではあるが、城館探訪で歩き回っている賜物かも知れない。 そうそう、手の湿疹がいつの間にか治っていた。 原因がイマイチ不明であるが、ほっといたら治っていた。 何気に生き物の治癒能力ってありがたいもんだ。 [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その15 野木町、藤岡町、小山市と色々と回ってきたが、今度の城で今日の予定最後の城となる。 小薬の小薬城(御城)である。 ●小薬城(栃木県小山市) 小薬城はこの小薬集落の中にあるらしい。 本来は御城(みじょう)という名称だが、隣りの栃木市にも御城があるので、分別する意味でこちらを使う事にする。 っと車を停める場所が乏しかったので、ちょっと離れた水田地帯の一角に車を停め調査を開始する。 と城に行く前に、この周辺には写真の看板が掲示されている。 理由は良く分かっていないが、土地勘の無い方向けの案内になるのであろうか? 少々気になっている。 集落の城跡だった場所付近に行くと、堀であったかの様な水路があった。 これだけだと遺構かどうかは分からないが、なんとなく嬉しくもなる。 城は御城稲荷神社付近であるとの事で、ようやく神社の入口を発見した。 入口は狭かったが、神社の境内は結構広かった。 どうやらこの辺りが城の中心であったようだ。 境内を歩いていると・・・やはり石碑があった。 小山市の徹底ぶりは脱帽してしまうぐらいである。 って事は網戸城も石碑がどこかにあったのかなっとふと思ったりも。 神社の周囲がまたなんとも館らしいたたずまいを見せてくれている。 堀があって土塁があって・・・堀がコンクリート製の溝になってしまっているのはガマンだ。 別のところも撮影すると、いかにも館跡らしい雰囲気がある。 これも神社の境内だったからこそ残された風景だと思う。 まったく遺構が無いと思われていたが、こうして城館遺構らしい気分が味わえたのは嬉しかった。 今回は周辺の方に聞き込みをしなかったが、すればもっと面白い情報が手に入ったのかも知れないな。 って事で今回予定していた城館探訪が全て終了してしまった。 終わったところで少し眠くなってしまったので、車に戻り窓を開けて昼寝をした。 時間はまだ午後の3時、日没まで行動するとすればおおよそ2~3時間は動けるかな? そんな事を考えながら少し眠りについた。 つづく [0回]
群馬が私を呼んでいた この所埼玉県内の無名城館遺構(遺構自体喪失しているのが殆ど)を回っている内に、どうせ無名なら県外の遺構を見たいという気持ちに絡まれてしまった。 さて、県外は何処を選ぼうかと考えた所、第一候補として挙がったのは群馬県だった。 さらに群馬の何処をと考えたら・・・榛名山の山麓がいいという事で、今や高崎市になった群馬郡群馬町を訪ねる事とした。 また、あの辺りの資料が乏しいのも決定要素となったのである。 高崎市郊外という事もあって、一部は都市化されて遺構は破壊の一途を辿っていた。 見ている遺構は埼玉の都心部とあまり変わらないが、群馬県にはかの山崎一先生の研究成果があるので全然違った。 というより山崎先生の調査された以前の調査と、現在の遺構を見比べるのが特に楽しかったのかも知れない。 5月6日の栃木県南部の城館探訪が終了し次第、この調査を載せる予定だが・・・ はて?何時の話になるのやら? [0回]