下野国田園城館探訪ツアー その13 長らく小山市の城館跡を訪ねつつ、ようやく到着という感じの小山城へ。 どちらかというと祇園城という呼び方の方が主流のようだ。 今回このブログでも祇園城として呼ぶ事にする。 ●祇園城(栃木県小山市) 祇園城は城の主要部分が公園化されている事もあって、駐車場まで完備されていた。 少々入口が分かり辛かったが、モロに公園利用者になると思うので遠慮なく駐車させていただく事に。 先の鷲城で「力任せの築城は好きでない」と言ったが、ここもどちらかと言えば力任せになるのかも。 でも縄張りを見ると結構巧妙に作られているので、それほどではない。 城の中心はこの橋の先にある。 これだけ見たら明らかにただの公園だが、祇園城の二の曲輪(日本城郭大系の図では本丸となっている)。 ここには大きな公孫樹の木が生えており、解説板によると落城の際に姫君が井戸に身を投げた目印に植えられた物だとか。 落城時の悲劇というのはよく城跡に残されている話。 だいぶ緩くなっているが祇園城の堀。 でもかなりの規模があり、しかも藪が殆ど無いので見るのに全然苦にならず。 むしろ目の保養にさせてもらっている。 本曲輪と先の二の曲輪を隔てる橋。 何気に堀底は車道にもなっていたようで、今は車止めされて通行不能になっている。 いつも1m未満に埋もれた堀を見ているから、大きい堀を見ると本当に癒される。 本曲輪に入るといかにも公園になってきた。 しかし、遺構を破壊しての公園というわけでなく、むしろ歩き易くなっているので助かっている。 本曲輪の先はテーブルまで設置されており、広大な思川の流れを鑑賞する事ができる。 でも屋根も無いので、ここで昼食というのはこれからの季節は厳しいかも知れない。 県道31号線を眼下に見下ろしながら遠くの鷲城までも望む事ができる絶景ポイント。 その下には図解付きの解説板もあり、市民の皆様に分かり易く解説。 更にこの祇園城を公園化すべく私財を出し奔走した田村金作翁の銅像付き。 祇園城の遺構が徹底破壊を免れたのに貢献した方。 折角銅像がありましたので、マイブームのあらゆる角度で撮影して、翁の写真ばかりになってしまいました。 ずっと戻って北側にある堀底の広場、祇園城は本当に広い。 なお、写真の西には小山氏の墓所のある天翁院がある。 こうして祇園城の探訪を終えてみたが、なかなか見所が多い反面、公園化によってやや遺構が破壊されているところもあった。 それでも個人的によく遺構の面影を残している方だと思う。 また、思川から見渡すこの風景が、実に心に残る。 ちょっとガスってたから、天気が良ければもしかして富士山も見えるのかもって思ったり。 って事で車に戻り、次なる城館跡を目指す。 つづく [0回]PR
下野国田園城館探訪ツアー その12 鷲城の力任せの遺構にちょっとげんなりしてしまった儀一であったが、活躍した時期が南北朝期であった事を考えればよく出来た城であったのだろう。 車で少々移動し、向かった先は同じ思川沿いにある長福城である。 ●長福城(栃木県小山市) 近くの広い道路に車を停めるが、この辺りは駐車禁止区域なので早々に帰ってこねば。 長福城の石碑が小さな公園の一部に設置されていた。 本当によく小山市は城館関連の石碑が建てられている。 遺構の規模はそんなに期待していなかったが、宅地にまぎれてデカイのがゴロリと。 住民から見れば単なる藪だから何も思うところは無いのだろうな。 思川に向かって小道があり、もしやここに遺構があるのではと期待して行ってみる。 そうしたら意味ありげな広場に、数年前までここで建築系の材料を作っていたような機材が散乱している。 それより目の前がもう思川の崖っぷちにあり、落差は相当な高さがありそうだ。 おそらくここも長福城の曲輪の一つであったと思われる。 戻ってみてもうちょっと石碑のあった公園付近を見ていた所、川に下りるような道が。 見方を変えれば長福城の堀の可能性もある。 遺構がまったく無い事を想定して来た割には、怪しげな地形が多い長福城。 城の半分ほどが宅地化されてしまっているので、かなり遺構が破壊されたように感じられる。 でもよく見るとこれは遺構だったのかも?っと思わされる部分も多数。 さて、路上駐車している車の所に戻り、次なる目的地へむかうのであった。 つづく [0回]
梅雨の合間に 桶川市~上尾市にかけての城館跡の調査に赴く。 少々不明瞭な遺跡が多いが、これらが将来どんな事が分かってくるのか楽しみなもの。 さてさて、その合間に上尾市の丸山公園で少々昼寝をしていた時の事。 日差しが強くて車内が暑くて寝れない。 30分間で起きて外を見ると・・・やけに車が多いような。 しかも、一眼レフカメラを持っている人が多数。 こっそり話を聞いていると、どうやら皆様植物鑑賞に来た模様。 公園に入ってみると、確かに紫陽花がよく咲いている。 え!? ペットなら分かるが、鶏とは??? おそらくお祭りの縁日で買ったヒヨコが、大きくなってしまったから捨ててしまったのだろう。 あと、公園内の水道で洗車しないで下さいとか、いろんな事が書いてあった。 さてさて、花に戻ると菖蒲の花もよく咲いている。 そういえば菖蒲城の菖蒲も咲いたのかな。 この他にも蓮の花まで咲いていて、公園の一端は花祭り状態。 こうして植物を撮影するのもなかなかいいものだ。 公園の沼は花ばかりではない、こうした鴨や鮒??などの動物も多く生息している。 水面を泳ぐ鴨を練習がてら撮影してみた。 こんな感じで丸山公園に寄り道してみたが、いいものだ。 車の中が暑くて寝れなかったので、木陰に設置されている公園のベンチで昼寝の続きをした。 城館の調査もそこそこできたし、公園の散歩なんてできたし。 色んな意味でいい日だった。 って事で明日から梅雨空が戻るらしいので、じっくりと仕事と勉強をさせてもらうことにする。 [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その11 ついに小山市街地に到達したという事で、題名の「田園」じゃなくなってきているが・・・まあいい。 次は城館探訪をされている皆様に人気が高い鷲城である。 ●鷲城(栃木県小山市) 小山市総合公園に車を停め、鷲城の方面を見る。 思川に突出した地形を利用した城で、鎌倉公方足利氏満に対し乱を引き起こした(一説にはケンカをふっかけられた)小山義政がここに篭城した事で有名。 実はこの公園に貸し自転車があるとの事で、祇園城と長福城を自転車で行けるか? っと淡い考えを起こしてしまったが、貸している自転車は5人乗りとかの特殊な自転車。 しかもこの公園内での利用制限との事で、自転車での探訪の夢は早くも挫折。 鷲城へは鷲神社に行けば良いらしい。 公園に車を停めたので、ちっと城への道のりが遠くなってしまった・・・。 まあ、下手な所に駐車して罰金取られるよりかはマシ。 っと歩いていたら、ふと城館遺構のある予感が・・・。 普段は感度の悪い我が城館レーダーが、この時はしっかり反応した。 あった!堀だ。 にしてもかなりデカイ。 小山義政公、気合が入りすぎでございます。 こういう虎口を見ると、結構ワクワクしてくる・・・はずなんだが。 なんかイマイチな感じがしてきた。 そんなこんなで鷲城の本曲輪である鷲神社へ到着する。 うーん、遺構の規模は確かに凄い、凄いんだが・・・何かが物足りない。 そのまま東に歩いていくと、解説板発見。 あら、ここは国指定史跡だったのか。 確かにアレだけの規模の堀があり、歴史背景もあればなりうる。 あ、ポストが備え付けてあったが、資料が入っているか見るの忘れた。 ここにも小山市の石碑が設置されている。 それにしても日差しが強くなってきた。 少々木陰で休んでから公園に戻る事にした。 遺構の規模は確かに凄いのだが、個人的に萎えてしまったのであった。 理由を後日考えてみたら、分かった事が一つある。 それは「力の無い土豪などが一生懸命なけなしの資産を投じて作った城館」に感じたあの魂が感じられないのである。 財力が無い代わりに地形と知恵で、堅固な城を築いているあの情熱が個人的に好きなのだろう。 ここを訪れた事により、遺構の乏しい城館が好きな自分を、再認識させられるとは思わなかった。 やはり遺構の乏しい城館跡を訪ね過ぎて中毒症状が起きたのかと思う。 でもそれでもいいのだ。 ・・・と思いながらも次の城館へ向かうのであった。 つづく [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その10 小山の街の中心街に近づくにつれて住宅や工場などが密集するようになってきた。 次に目指す場所は曲輪である。 なんとも露骨なネーミングであるが、本当に曲輪という名前の城館である。 ●曲輪(栃木県小山市) 小山市史の地図によればJR宇都宮線沿いにあるとの事だが・・・住宅が密集している。 ここでも2往復も線路沿いをウロウロする。 うーん、まさかなっと思いつつ、国道50号線をくぐり、小山駅に近い所を探してみる。 すると・・・あった。 思ったより駅寄りであるのに関わらず、こんな土塁があろうとは・・・ ただ、車を停める場所が無いので、ちょっと離れたドラッグストアにて買い物を兼ねて停めさせていただいた。 そこから遺構まで少々距離はあるが、丁度いい散歩コースであろう。 ここにも立派な石碑が。 この石碑の名もまた「曲輪」である。 土塁を別角度から。 それにしてもこれだけ宅地化されつつもよく破壊されなかったものだ。 小山市史に掲載されている遠景を今で撮るとこんな感じ。 さすが30年前とは風景が全然違う。 恐らく30年前の撮影場所も、今の東北新幹線の高架下あたりになるはずだが、鉄道用地であるため側道からの撮影となった。 それでこの場所が遺構の中心のはずだが、土塁ほどのインパクトはなく。 ここを発掘調査してたとしたら、小山氏に関わる遺物が発見されたのかも。 もし調査がなされてなかったとしても、宅地になってなければ希望がありそうだ。 歴史が不明な遺構の割りに巨大な土塁。 あれだけの工事量を考えれば、この辺りを治めていた小山氏の居館説もうなずけるかも知れない。 暑い日差しの中、車に戻り次の城館へ向かうのであった。 つづく [0回]