露入り、そして蟻 どうやら梅雨になったようだ。 それに関わらず未だにGW頃の城館探訪の内容が完結しておらぬとは・・・。 まあ、のんびりとでも書いていかねばならぬな。 最近思うところをちょっと書くと、人によって良し悪しの物差しが違うなって事。 確かに大勢に受ける好みや批判というのも確かにある。 だが、細かい所まで突き進むと、個人差がやはりあるのだなっとつくづく思うのである。 だから「これは絶対いいよ」とか「これは戴けないよ」というのも、人によって変わるという所か。 いきなりこんな話をしたのも、日常生活をしていた上での事。 それ以上でもそれ以下でもないのである。 [0回]PR
計算しろ!GO!GO!! 最近の毎日の日課に単純計算がある。 その名の通り「1+1=」とか「7-4=」とかいう計算を早く解くのである。 前は川島隆太教授の本を買ってやっていたが、最近は便利なもので電卓にその計算機能がある物がでている。 しかも電卓の方は過去の戦績やタイマーも付いているので、時計と睨めっこせずともよくなったのが良い。 脳内の運動にはこの単純計算を正確により早く解く事が最も効果的であるらしい。 (確かにこの計算もやりすぎると頭が痛くなってくる) この話をいきなりしたのも、ついにこの電卓版単純計算が実年齢を超えた為である。 毎日やっていた成果がどんどん出てきているようで、とっても嬉しい。 このまま50問全問正解、かつ1分以内の好成績を目指すのみ。 でもこれが手に届きそうで届かない(笑 まあ、このまま毎日やり続けて、やって見せたいものだ。 [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その9 塚田館の遺構の無さは、今思うと自分好みなのかも知れない。 「遺構が明確に残されていない=想像する余地がある」 っという事にもなるからだ。 またまた細い道をグネグネと這いくぐって、国道4号線バイバスへ。 バイバス線から見える城が中久喜城である。 ●中久喜城(栃木県小山市) 小山と結城の中間に位置する為、中世期においてはかなり重要視された城だろう。 ある意味今でも近くが国道4号線と50号線の交差地点なので、交通の要衝となっている。 さて、何処から入るのかとグルグルと2週ばかりしてしまった。 ぐるっと回ってばかりだったが、アングル的にはこの国道4号から見た中久喜城が一番いい感じだ。 流石にすぐ側を車が高速運転しているので、ハザードランプを付けながら車内で撮影。 ドアを開けて一歩でも外に出ようものなら、すぐに轢かれてしまいそうなこの恐怖。 一通り周りを撮影して、県道264号線より細い路地を入り城の見学に向かう。 ここにも立派な石碑があった。 もっともここほど遺構が残っていれば、石碑の存在も当然と思える所も。 なお、その背後は空堀になっているようだが、藪が凄そうで入る気にもなれない。 噂には聞いていたが、こうやって図を見ると見事に線路が城内を貫通している。 城内で削られた土塁は低地の築堤に使われたと安易に想像できる。 分断された城の北側の土塁上。 ここだけ見てもかなり興奮してくる。 ・・・さて、分断された南側の遺構はどういけるのやら? 近くで農作業されてる方に線路の向こう側への行き方を訪ねたら、 ここの踏切を渡っていくように勧められた。 それにしても踏切名が思い切り「城山踏切」と書かれている辺り、城を破壊したのが確信犯的に見えてしょうがない。 踏切を越えて道沿いを歩いていくと土塁にお目にかかれる。 ・・・立派な遺構があるのだが、藪が凄くて写真にならないのが残念。 藪同様に目に付くのが「ゴミ捨て禁止」の看板。 城跡って所は何処も不法投棄の餌食になってしまうのだな・・・。 更に道沿いに歩いていくとステキな土塁を発見。 って事はこの道は空堀?それとも武者溜り? そんなこんなで本曲輪に到着。 う~ん、見事に農地になっとるのう。 このままの状態で置かれるのなら、いっそ史跡公園にでも・・・ いや、生活に溶け込んでるようで浮いているこの状態でも魅力ある。 それはさておき、全体的に藪が凄くて遺構が見渡せないのが残念である。 帰りに城内を轟音立てながら爆走する電車を見送る。 この電車に乗っている人たちで、ここが城跡であると知っている人はどの位いるのだろうか? 帰る際に色々と教えてくれた農作業中のご夫婦に、篤くお礼を申し上げた。 ちなみにこの辺りは史跡区域(だったかな?)になっていて、農地はできるが建物は建てられないそうだ。 確かに宅地になってしまったら、再び遺構が地表に現すのは下手すれば数百年後。 鉄道によって遺構が破壊されつつも、保護されている事に安心してしまったり。 って事で中久喜城を後にして。いよいよ小山市の中枢部へ向かう事にした。 つづく [0回]
至ってノーマル 今日は休日で外も晴れてはいるが、城館探訪をせずに家に居る。 この所このサイトの更新せねばならない所が増えて、ソッチを片付ける事に。 その他は自宅の墓掃除、髪の毛の散髪、銀行周り、車の洗車と割りとやる事は多い。 もし手持ちの資料を全て使い果たしたら、来週あたり城館探訪に行きたいものだ。 [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その8 網戸城を訪問し終え、今度は間々田の集落を乗り越えて東へ。 今回の城館探訪は北に向かいジグザクに動いているような・・・ まぁその方が所在地を見た上で訪問し易いと判断したからである。 東北新幹線をくぐって行くと、なんとなく森が多くなってくる。 途中からその森の小道を通り抜けて行くと、目指す塚田館がある。 ●塚田館(栃木県小山市) 森を抜けたら目の前が畑などが出てきて、とても広くなった。 小山市塚崎はかって鎌倉街道が走っていて、今回目指す塚田館はその沿線に所在する。 塚崎の氷川神社が館跡の西隅に位置するという。 『小山市史史料編・中世』によれば明治三十九年頃までは土塁と堀が残されていたというが、 現在となっては壊され畑となったようである。 またもゴツい石碑を発見。 遺構の消滅した館跡にもこの様な立派な石碑が建てられている事に驚きを感じる。 この辺りが館跡の南端部に位置すると思われるが、 めぼしい遺構は残されていない。 木の根元がなんとなく盛り上がっているように見えるのは気のせいか? 館跡の西側にあったという鎌倉街道を探してみた。 しかし、畑になっていて、どれがその道筋かすらも分からなかった。 一応館跡の西にある農道を街道に見立てて写真撮影。 この道も南下すると公道に出て途切れる。 元々遺構が無いと分かりながら来た塚田館。 そんな乏しい城館遺構が、古き時代の遺構へ思いを馳せさせるのかも知れない。 有力な遺構を発見する事無く、次なる城館跡へ向かうのであった。 つづく [0回]