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そういえばテレビ番組が大きく変わったな


当方、今の仕事柄もあるが、元々テレビは見ない方である。
そんな自分でも見ていた番組にテレビ東京の「TVチャンピオン」なる番組があった。
知らない方に大筋を説明すると、趣味や仕事など一流の知識と技術を持った参加者が、
その道のライバルたちと競い、チャンピオンの栄光をつかむ番組である。

実は気になっている事は、そのTVチャンピオンで「城郭王選手権」というのがあったのかである。
もちろん城郭の事を全国的に知り尽くした者達の、知識の競い合いになりそうな予感。
例えば「縄張り図早押しクイズ」なんて当然ありそう。
また、写真の山を見て何処の何と言う城で、どんな経歴を持つ城かを答えるなどなど。
基本的に知識の量によって勝敗が決まりそうな感じである。
そして、チャンピオン決定戦は、ずばりケバ図の作成勝負、速さはもちろん正確さも要求される・・・とか。

でも、明らかに一般受けしなそうな予感・・・。
番組が終わったところを見ると、ネタが無くなったのだろう。
っというのがふと思った事であった。

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最近の朝日は真っ赤です


最近は仕事の日に限って晴れる事が多い。
久々に青空の下、城館遺構で戯れたいと思う事が多い。

夜勤をやっているので、終業時間は朝。
最近は明るくなるのが本当に早くなってきた。
っと思ったら、窓から差し込むのは真っ赤に染まったサンライズ。
あまりにも見事な赤なので、つい見とれてしまったりも。

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系図の迷宮の中で


今日は晴れていれば城館探訪する予定であったが、雨なので家で系図作りに勤しんだ。
今回挑戦したのは、あの藤原氏の系図である。

藤原鎌足から始まって・・・不比等・・・京家、北家、南家、式家と分かれて・・・
っと見ていく内に恐ろしい程の大人数になっていた。
この調子で増えていったら、日本人全員が藤原ファミリーなんでないかと思う位に。

途方もない上に城館と関連が薄いので、本家本元は保留。
代わりに関東に関連ある藤原秀郷流の系図を作成してみる事に。
今回使ったソフトはword2003で主要参考文献は「大間々町誌 通史編 上巻」である。
fujiwara_keizu.jpg
こんな感じに仕上がった。
名前を入力し、オートシェイプで線引きするだけで、わりと立派な系図が完成。
プリントしてみたら、この半分の文字サイズでいけそうである。
欲を言えばもう少し行間隔を狭められれば良かったかな。

この調子で武蔵七党の系図も挑戦してみたいものである。

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愛車謝恩城館探訪 その8(最終回)


充実した東毛の城館跡を堪能する本日の探訪もいよいよ最終地になる。
大胡城をリストに入れられなかったのは残念だったが、後日やってくる新車に再訪の役を譲る事にする。
最終地に選んだ場所は旧赤堀村にある、あの赤堀城である。


●赤堀城(群馬県伊勢崎市)
resize1971.jpg
上毛電鉄膳駅の脇を通過し、南下するだけで赤堀城に着く事ができる。
だが、ここは地元車の抜け道らしく、群馬ナンバーの車に何度も煽られる羽目に・・・。
折角いい所に住んでいるのだから、もう少しゆったり走って欲しい所である。

ここも数年ぶりなので、駐車場所を忘れた。
確か路上駐車したと思ったので、今回も道幅のある場所(運良く駐車禁止区位置でなかった)に車を停め、城館探訪に赴く。

resize1967.jpg
近くの交差点には赤堀氏に関わる事を記した石版がある。
交通量がやや多い所なので落ち着かないが、赤堀城を楽しむ上でここで予備知識を入れておく。

resize1968.jpg
民家の間の道を抜けていくと結構広い赤堀城の堀跡を見る事ができる。
この城は東に鏑木川、西に粕川に挟まれた場所で、
南は両川の合流地点という事もあって北のこの場所に堀を築く事により、
理想的な防衛ラインを構築するに至っている。

resize1969.jpg
鬼門の方角である北東には折をつけた土塁が構築されている。
(写真は折を外側から撮影している)
こういう城館遺構を見るだけで、城主がいかなる性格の持ち主なのかが分かるのが城館探訪の楽しみでもある。

resize1970.jpg
赤堀城の折の付いた土塁の脇は切り崩されている。
その切り崩された付近に最初の写真にある案内板とこの碑が設置されている。
他に付近に石造物もあり。

resize1972.jpg
それにしてもデカい土塁である。
もうよじ登る気もなかったが、この天晴れな土塁を見れたので満足なり。

resize1973.jpg
本曲輪の現状は見事な耕地になっている。
以前訪れた時は早朝の朝6時で、すでに畑の持ち主の方が畑仕事に精を出してらしたのが印象であった。
流石に今回は日没前なのでいらっしゃらないご様子。

resize1974.jpg
それにしても見事な堀の幅である。
前回は土塁の大きさにばかり圧倒されていたが、今回は土塁と併せて作られた堀にも注目してしまった。
考えを変えればそれだけ我が視点が変わって来たという事であろう。


かくして本日の城館探訪の日程を全て終える事ができた。
夕刻は交通渋滞があるので、日暮れと共に仮眠するのが我が流儀であったりする。
そして帰宅ラッシュの終わった頃に、空いてる道路を疾走して帰るという訳である。
城館探訪でこの車に仮眠するのは今回が最後で、しっかりと睡眠を取る事ができた。

それにしても群馬の城館跡は案内が多く、城館探訪初心者にも安心できる城が多いのがいい。
今回訪れた城はそのごく僅かなので、またあの群馬の城館跡に訪れたいという欲が沸いてくる。

最後に十数年もの間、城館探訪ならびに日常でお世話になった愛車に改めて御礼を言いたい。
まだまだ心残りがあるが、今まで本当にありがとう!!


おわり

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愛車謝恩城館探訪 その7

そろそろ今日の城館探訪も佳境に差し掛かってきた。
膳城を出て西に向かい、あの思い入れのある大胡城を本日最後の城にしようかと考えていた。

ところが、大胡城へ向かう途中で見つけてしまったのだ。
「 中村城跡 → 」と書かれた錆び付いた小さな案内を!!


●中村城(群馬県前橋市)
resize1960.jpg
あの錆かかっていた案内に何の魔力があったのか知らないが、それに導かれるようにこの城に来てしまった。
県道沿いにはしっかり曲がり口を示してくれていたが、その後の案内は見当たらない・・・。
ふむ、これは今までの城館探訪で培った勘で場所を当てるしかない!!

これも凄い事で「あの辺りかな?っと思った場所に行ってみたらこの解説板を発見。
ふむう、この城にはなにかありそうだ。

resize1962.jpg
やや埋もれてしまっているが、水堀が公道より見る事ができる。
大概の館跡は堀を埋め立てて公道を作る事が多いが、この城は堀を残す形で道が作られていた為に残っていた。
流石にこれだけ水が見える堀だとズブズブと埋もれる可能性が高いので、今回は突っ込まず観察でガマン。

resize1961.jpg
折角なので我が車と堀沿いに植えられた桜とのツーショット。
ああ、まるでこの桜が「今までお疲れ様でした」と言っているように感じてしまうのは自分だけか?
他の城館跡の桜はまだであったが、ここの桜だけは七分咲きぐらいであった。
これもあの小さな案内板の起こした奇跡であろうか。

resize1963.jpg
桜の植えられている辺りは土橋状になっており、その先には使われなくなって久しい(虎口?)がある。
その先には民家があるが、幸い藪が視界を遮ってくれているので、虎口っぽい地形がクッキリと見える。

resize1964.jpg
そのまま北側をぐるりとしてみると東部の怪しい地形が見えてきた。
これが中村城の東側の備えであろう。
写真の内側は児童公園になっているようだったが、公園に入るのを忘れていた(汗
南側は宅地化されており、遺構は喪失しているようである。

resize1965.jpg
城の北東付近にはかって武田軍によって落城した際に奮闘したという姫の供養塔が建っている。
石碑には「姫塚」と書かれ、裏面に城と運命を共にした姫の悲劇を書いてある。
恐らく地主の方であろうか?塚の周辺を綺麗に掃き清め、新しい花を生けてあった。

resize1966.jpg
姫塚を全体的に見たら、そこにも桜が元気よく咲いているように見えた。
今日城館探訪をしてきた中で、この中村城の桜だけは非常によく咲いていたのも不思議な縁である。
他の桜に先駆けて花を咲かすその姿に、かっての姫の勇姿が重なって見えるのもまた不思議。


それにしても飛び入りでメニューに追加された中村城。
そんな中村城に我が愛車が最も労いの桜を見せてもらうとは思いもしなかった。
なお、その北にも月田館という館跡もあったそうなのでちょっと回ったが、宅地化されて見つける事が出来なかった。
やはり遺構が残されているというのがどれだけ強いのかを見せ付けられたのであった。

さて・・・今更だが大胡城に向かおうか?
いや、道路が渋滞しているので、大胡城に着く頃には夕闇に包まれているだろう。
これまた予定を変更して、本日最後の訪問先をあの城にするべく移動を開始した。


つづく

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