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森下やしき(埼玉県吉川町)


『わたしたちの郷土 よしかわ地名編』という資料の「保(ホ)」の項目に下記の記述がある。

「正保五年(一三一六)の松伏町大川戸熊野社古文書に十一月十一日、土佐法橋了弁の子息の能登房が熊野社の別当職に任ぜられた時に、森下やしき(吉川駅北側付近)の畑六十歩を寄進している・・・」

ここまで明確に屋敷の場所を明記されては、ちょっと行ってみないといかんという事で、何も無いのを承知で訪れてみた。

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それで昨日のブログに吉川駅北口の写真を掲載したという。
吉川市は隆盛を誇った水運がトラックなどの陸運に代わられて廃れ、衰退の一途を辿りそうになった。
そんな吉川市を救ったのはこの目の前を走る武蔵野線の登場であった。
お陰で町は息を吹き返し、吉川は市制を行うまでに蘇った。
駅前の「都内に直結する鉄道を」という看板が、いかにも悲願を達成したいという想いが伝わってくるようだ。

resize7013.jpg
っとブログを更新していて思ったのは露骨に駅前ではなかった可能性が高いって事だった。
上に書いた通り、この吉川は元々古利根川の水運を元に発展した街である。
となれば鉄道が開通して発展を遂げたこの駅前より、古利根川に近い西の方角こそ屋敷の推定地に相応しい。
うーん、また時期を見て再調査しに行かねばならんな。

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