中恩田の内手 その1 かなり寄り道しながらもやってきた旧大里町。 最初に向かうのは大字中恩田にある字西内手。 東内手ももちろんあり、そちらは後日の「その2」で調査する。 この辺りはほぼ民家になっており、少々撮影をはばかられる所も。 そんな事で裏側から失礼させていただく事に。 一応屋敷林が存在しており、北側の入口は見た感じ食い違いに見える。 うーん、こういった民家を館跡に見えてしまう辺り、なんでも遺構に見えてしまう「生活城館病」にかかっておるな。 旧大里町は特に伝承を残す遺構が無いのだが、中世期には久下氏などの領地になっていたと推定できる。 現在こそ荒川を隔てて久下氏の館(伝承)はあるが、今の荒川になったのも徳川幕府による河川改修によるものなので、陸続きであった可能性がある。(川の一部が隔てていた可能性はあったりもするが) また熊谷市楊井の名を称した久下氏の一族楊井氏もこの旧大里町を挟んでいるので、飛び地でない限りはこの地も久下氏による支配が及んでいた可能性はある。 これらも推測なので確かな事は言えないが、こうして中世期の情勢を読み解くのも城館探訪の楽しみであると思える。 ・・・長々と考え事してしまったが、今度は「東内手」へ。 [0回]PR