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古里字中内手(埼玉県比企郡嵐山町)

この所プライベートに忙しくてブログが途切れてしまった。
って事で以前のまがい地めぐりの続きを・・・

ここから埼玉県比企郡嵐山町のまがい地巡りである。
最初に訪れたのは嵐山町の最北である古里地区にある「字中内手」から。
古里地区のほぼ中央に「兵執(へとり)神社」があり、その辺りが字中内手である。

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初夏の日差しの照らされる中、ちょっと小高い所にある兵執神社へ訪れた。
この神社、名前がなんとなく軍隊を思わせる名前なのが気になるが・・・早速境内へ。

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境内に入ってちょっと振り返った所。
丘の南斜面に位置している為、南方の眺望にやや優れる。
このまったり具合がなんとも癒される。

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兵執神社本殿が奥にある。
緩やかな斜面ではあるが、この神社自体はよく削平されている。
神社だとこの位は整備されている物なのかも。
一応お賽銭を入れて安全な城館探訪を祈願する。

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でもこういった削平地を見ただけで城館跡を連想してしまう辺り、自分は立派な生活城館病。
しかし、小字・立地条件とくれば、そういう視線が強くなってしまうもの。

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兵執神社のある丘の頂上は何故か運動場になっていた。
人っ子一人いない運動場、かっての地形が失われてしまっていて、もはやかっての姿を思い浮かべるより他はない状態。

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ここからは番外編。
中内手より南の集落は「字内手」となっているが、館跡を思わせる地形は見られなかった。
代わりに消防貯水庫にかっての村名「菅谷村」と書いてあるのが気になった。
幾ら本多静六博士の命名である「武蔵嵐山」とはいえ、かってからの地名である「菅谷」も大切にして欲しい所。

かくして次なる場所に移動するのであった。

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