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吉田字陣屋東(埼玉県比企郡嵐山町)

埼玉県比企郡嵐山町の吉田地区にもとても興味を惹かれる「字陣屋東」なる小字が存在する。
陣屋・・・陣場同様に中世期では合戦時に軍隊を収容する営舎を指していたが、近世になり大名の住む城郭に満たない役人の詰め所を指す言葉になっている。
今回の吉田の陣屋がどちらかはよく分からないが、末端に「東」と付いている以上陣屋の東側を指す地名と思われる。
という事は西隣りの小字はっというと「字西之谷」であり、その中間に陣屋があったと見るべきか?

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目の前にある丘(写真だと森に見える)が目指す字陣屋東である。
田んぼを隔てた北にはかって甲斐の国への街道の名残と言われる現県道11号線が走っている。
そういう意味で見ると先の陣屋の定義からすると、戦中の陣所と見るのが自然か?

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字陣屋東の中心を車一台分の車道が南北に貫通している。
さっきの遠景を見てもこの道路の東側の方が陣を構えるのに相応しくも思えるので調査してみる。

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この辺りの民家の一部はこの丘陵上に建てられており、特に写真の切り株のある所が土塁に見えてしょうがない。
それよりこの丘陵の上を調べてみる必要があるな。

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さっきの土塁に見える高まりより高い所から見てみると・・・やはり土塁に見えてしまう。
故意にこういう形状にしているのか?あるいは本当に陣屋の跡地を利用して家を建てたのか?
とても興味深い。

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丘の上は藪かと思いきや、数軒の墓地になっていた。
結構上の方は削平されており、墓地造成によるものかと思えるが、同様の墓地を見てもここまで削平されているところはそんなにない。
やはりここには何かあったのだろうか?

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丘を東西に跨ぐ里道を撮影してみた。これだけ見ると堀にしか見えない。
でもこの里道もここまで掘り下げているのが気にはなる。

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先の切通し状の里道の南は、これまた削平された農地。
確かに農地なら削平されていても不自然ではないが・・・全体的に丘に手が加わったような気してしまうのであった。

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お墓越しになってしまったが、丘から麓を見下ろしてみた。
向こうの民家の高さを基準にすれば、3~4階ぐらいの高さはあるだろうか?
場所としても先の甲斐へ続く街道が北を走っており、さらに北に2kmぐらいには元江南町の塩館や常安寺館があり、もしここが陣屋であったとしたらどんな関連があったのか興味が沸いてくる。

そんな事で次の場所へ移動するのであった。

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