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小前田字西ノ皆戸(埼玉県深谷市)


元花園町小前田には「西ノ皆戸」と呼ばれる小字がある。
「皆戸」とは「垣戸」と読みが同じで、この垣戸という言葉もたまに武士の居館の名称として使われる。
この皆戸の前に「西」と付いている事からも「西にある垣戸(屋敷)」という意味にも受け取れる。
そもそも「西」とは何に対して西なのか?鉢形城の軍制で荒川衆と呼ばれる小武士団がいる。
『花園村誌」によれば花園の荒川地区に荒川衆が居たとされ、川端と只沢の二ヶ所を中心に居住していたようである。
となれば大字を跨いでしまっているが只沢の西に位置する当「西ノ皆戸」が荒川衆の屋敷の一つだったかも知れないという可能性が出てくる。
では早速「西ノ皆戸」を訪れてみる。

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手掛かりが無いので、最初に観音堂のあるところへやってきた。
一見静かな公園になっており、奥にはその観音堂がある。

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見るとここは初めて花園村が出来たときに、その村役場となった所のようだ。
こういう所にも近代の歴史が隠れている。

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しかもゴージャスに石碑付き。
今や深谷市の一部となってこれから先「花園町」の名前は人々から忘れ去られようとしている。
個人的には合併した後もこれまでの町名を使って行きたいものである。
(故に当サイトは平成の大合併以前の市町村図にこだわっている)

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さてさて、肝心の遺構はというと・・・それらしき場所が見当たらない。
もしかすると道路脇の水路がかっての堀なのかも知れないが、その確立は低そうだ。
中世期の歴史は閑静な宅地によって静かに埋没していくのを感じる。

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道を歩いていると多くの猫さんたちにめぐり合える。
殆どの猫さんは近づくと逃げるが、この位望遠にして撮影すれば実にのんびりしている。
まがい地めぐりだからこそ、地域の道をのんびり散歩できるのかも知れない。

結論、遺構はよく分からず。
って事で次の場所に移動する。

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