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牟礼字新屋敷(埼玉県大里郡寄居町)


埼玉県大里郡寄居町牟礼の字堀の内から歩いてちょっとの所に「新屋敷」という小字がある。
この辺りは他の中世城館資料等ではまったく認識の無い場所なのだが、「堀の内」に続き「新屋敷」とちょっと中世城館跡にゆかりのある小字が残っているのが印象的である。
先の堀の内でも書いた通り、この牟礼地区は高見城から鉢形城への街道の沿線上にあったと思われ、個人的にはちょっと期待している地区でもあるのである。

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牟礼地区で信号のある交差点を鉢形城方面へ歩いていくと、なにやら湿地帯が?
一応地図にも緑地として表示されているが、特に名前がない。
仕方ないのでここを仮名「寄居の尾瀬」と呼んで置くことに。


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早朝の「寄居の尾瀬」はいたって静か。
こうして朝日の方角を向いていると、とても埼玉県寄居町にいるとは思えない光景が広がっている。
近くに民家があるが、とても良い自然が残されていると思った。
さて、この「寄居の尾瀬」の脇を通過し、目指す字新屋敷はこの奥である。

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先へ進んで見ると途中で未舗装の道になる。
調べた所ではこの辺りから字新屋敷」なのであるが・・・

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ピキーン!!
ふと北側の斜面を見たときに感じ取った、この上に平場がある。
本当は民家脇から行くようだが、強引にこの斜面を直登して馳せ参じる事にした。

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・・・そこにはとても美しい平場があった。
この削平具合をみれば明らかに人の手によって平場が作られた物である。
でも・・・妙に草が刈られて綺麗になっているのが気になる所ではあるが、恐らく昔の住居があったのだろう。

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しかもそこからは山間からうっすらと高見城と思われる山まで見える。(写真中央付近)
一応地図で調べてみたら、確かに高見城のある四ツ山であった。
これはわざわざ見える位置を削平したものか?あるいは偶然か?
発掘調査でもすれば分かるのかも知れないが、現時点では分からない。

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足元には近年まで使われていたと思われる井戸のような跡まで残っていた。
どう見ても下水道などで使用されるコンクリート製の物で、正確には井戸であるかも分からない。
でもこの辺りは湧水があり、生活するには申し分ない条件を備えているようだった。


ここまで書いて残念ながらブログの写真容量が満タンになってしまったようだ。
一応容量増量を申請してみるが・・・こんなブログに増やしてもらえるか謎だったりする。
なお、先ほどの平場の上にも緩やかながらも何かあったような平場があり、それを囲むように溝があった。
字新屋敷の名は中世の城館跡なのか?
これをご覧になって興味をもった方に見ていただきたい所だったりする。

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