牟礼堀の内(埼玉県大里郡寄居町) 以前寄居町の南部を調査してなかったので、今回そちらの訪問をする事にした。 ついでなので嵐山町と滑川町の調査もしたいなっと思って日の出前に家を出た。 最初に訪れたのは埼玉県大里郡寄居町大字牟礼である。 ここは地図を見ると中世城郭である鉢形城と高見(四ツ山)城の中間に位置する場所である。 特に高見城からは近距離で、何かあったんじゃないかと気になっていたので、今回の訪問となった。 牟礼字堀の内付近の様子。 確かに旧家があり昔から人の住んでいた様子を思わせる。 では早速グルッと県道沿いに回ってみる。 いくつかの沢が合流するこの辺り・・・これを見たからには行かない訳にはいかない。 といつもの土砂災害危険警告板(名称知らないので適当)があるので沢の名前を見てみる事に。 その名も「牟礼沢4」 通称4号なのか。 恐らく地元でも名前の無かった沢なのかも知れない。 一応牟礼沢が幾つも入り組んでいるその辺りへ。 おおお、いいな。 これだけ見せられたら「城」といわれてもちょっと説得力あるかも。 ちょっと草が生い茂る季節なので、その先に行くのは控えた。 うーん、最近衰えたもんだ。 沢の流れによって削られたのか?人の手によって削られたのか? 堀の内という地名は沢に囲まれている事によって名づけられた地名なのか? この辺りの聞き込みをすれば良かったのかも知れないが、早朝なので控えた。 寝起きというのもあって判断力が鈍い。 もう一つ館跡があったんじゃないかと思わせる地形が道路の形状に。 写真左の県道がショートカットでいるのに対し、旧道は堀の内(写真の右側)に突き当たった後、堀の内の周囲を回るようにしてこちらに通っている。 宅地や農地になっていて痕跡すら残していない堀の内、でもなんとなくこういう所で名残を見せているのは我が気のせいであろうか? 堀の内 雰囲気だけ残る 初夏の朝 なんだか寝ぼけているので変な俳句を読んで今回終了。 (一応季語も入っていたのは自分でも驚き) [0回]PR