腰越の内出 比企郡小川町にある腰越城に程近い所に「内出」なる地名がある。 この「内出」の地名は館から「討って出る」場所であった事から名づけられた由来があり、これが「打出」→「内出」と読みは同じで漢字だけ変わった事が多い。「堀の内」「陣屋」「屋敷」らと並んで、当方がもっとも過剰反応を示す地名の一つである。 他にも農地検地において杭を打って測量した事から名づけられたという説もあったりするが、この内出に関してはどこもみな中世城館を配置するのに相応しい地形であったりする。 前置きが長くなったが、早速内出地区を訪ねてみよう。 腰越城から南西に槻川を挟んで600mほどの所が内出地区。 この集落を流れる沢もまんま「内出沢」 それにしても本当にこの標識には助けられる。 内出集落南にある氷川神社本殿。 背後の露出した岩がなんとも風情を誘う。 一応この周辺を調査してみたが、それらしい地形は無かった。 となればやはり「内手沢」が流れる場所を見に行かねば。 内出沢周辺は古くからの家が多く、東へ緩やかに傾斜している地形を土を盛って平にしているように見える。 先ほどから名の出ている内出沢が堀の役割を担いつつ、水の手になっていただろう。 地名から推察すれば在地土豪の屋敷で、戦国期には近くの腰越城の城兵が平時住まう居住地だったのかも知れない。 なお、直接城館跡に結びつける遺構等は見当たらなかった。 かくして次なる目的地へ向かうのであった。 [0回]PR