見落としから発見へ 今朝は天候悪かったが、午前中に天候が良くなってきたので、先週の蓮田市の続きを。 もし時間があったら周辺の城館跡を探訪しようと考えて訪問してみた。 ●閏戸吹上遺跡(蓮田市) 先週よく分からずパスした遺構、ひとまず大体の場所は分かっていたので訪問。 この近くの老人ホーム建設に先立っての発掘調査にて遺構が発見されたので、おそらくは老人ホームの地下になる。 その老人ホーム以上に気になるのは上の写真の茂み。 綾瀬川の蛇行に基づき、自然堤防もやや蛇行した形状をなしており、茂みのある場所は丁度自然堤防が突き出た形になっていたものと思われる。 しかし、その地形も見沼代用水の開削によって削られてしまっているのが残念。 その北東に位置している久伊豆神社。 鬼門除けとしてこの位置に置いたのだと自己解釈。 蓮田市はこういった自然堤防上に屋敷を構えて河川の監視に当たっていたケースが多いような。 その後黒浜の雅楽谷の場所を調べに再び蓮田市役所へ。 すると・・・まだ小字を見落としていたところがあった。 って事でここからは城館まがい地めぐりへと突入する。 ●黒浜雅楽谷(蓮田市) さて、このあたりが雅楽谷なのだが・・・見事に整地されちゃっている。 ただこのあたりは水田だった可能性もあり、谷になっている方へ向かってみる。 すると、東埼玉病院付近がなんとも怪しげな雑木林になっていた。 しかし、車の停める場所がなく、あえなく撃退されてしまった。 南側のグランドから病院のある森を望んでみる。 このグランドも水田だとしたらいい地形のような、でもちゃんと歩いてみないと分からないものだ。 ●川島上出(蓮田市) ここは今回改めて発見した場所。 注目すべき小字は「上出(手)」~「下出」であった。 こんな感じで来たら、中央はというと「足り」だった。 元荒川に浮かぶように所在する川島地区。 この集落は比較的新しいので、やや厳しい感じだ。 悠久の川の流れを見ているのもいいが、昨日の雨のおかげでゴミがプカプカ浮いているのが今日を削がれたり。 で次なる目的地にむかったとき。 こ・・・これは土塁なのか?? 車で通りすぎてしまったので、急遽折り返して調べ直す。 この「足り」地区のあたりは元荒川が作り出した自然堤防があり、比較的高いところにある。 さらに歩いて見てみると道のクランクまであったりしたので、城館跡である可能性が50%ぐらいまで上昇。 ただ、その大部分は宅地化されているので、土塁はこれっきり。 (正確にいえば堤防と思うのが自然なのかも知れない) 極めつけは東北自動車道を越えて西側の「上出」地区にあるこの塚。 古墳とも思えるが、この周辺の低地を考えると中世期には物見台として利用された可能性もある。 ただ、先の土塁まがいの堤防からこの塚までは600m程距離があり、一つの城館跡として利用されていた可能性は厳しいかも知れない。 これらの塚に土塁が川の真ん中に浮いていれば立派な要害になりうる。 ただ、地名や地形を見ただけなので、難しい所ではある。 ●駒崎中郷(蓮田市) 鎌倉幕府が藤原秀郷の末裔である伊賀氏に送った文書に「正和四年譲状写」があり、それに「駒前(崎)」とあり、この頃から駒崎地域はあったと思われる。 さてここにも「上郷」「中郷」「浮張(風張?)」という気になる地名があったために訪問する。 なお、この伊賀氏は南北朝期になると母国である陸奥国岩城郡好嶋荘にて地頭の岩城氏と争って勢力が衰えて、飯野氏を名乗って代々飯野八幡宮の神主職に就くことになり、現代まで続いているという。 ここに来て、またも久伊豆神社がある。 蓮田市の城館跡を巡るとどうしても久伊豆神社と顔をあわせないといけないようだ。 ここを北東の位置としてみるならば、その視線と見れるのは星久(しょうきゅう)院になる。 この奥が星久院。 自分の勘からするとおそらくここが駒崎の中心だったのではないかと見るが、遺構は見られない。 若干ではあるが土盛りがあって、それらしい雰囲気を出している。 でもその敷地は墓地になっていて、周囲を見渡してみたが城館跡と思える地形は見られなかった。 もしここを館跡とみなすなら、早い時期に使われなくなった可能性を考慮するべきだろう。 ちょっと日が傾き始めているので、蓮田の図書館へ向かった。 ところが今日は5時で閉館になるという。 急いで資料を見てコピーしてきたが、もうちょっと調べ事をしたかった。 [0回]PR