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田野城

●田野城(埼玉県秩父郡皆野町)
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次に向かったのは田野城で、千馬山城の出城の性格を担っていたと思われる。
12月も下旬になり、木々の葉も落ちて絶好の見ごろを迎えている。

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山の東には何故か赤城神社があり、その付近から登れそうな感じがした。
しかし、それが大きな誤算を招いてしまった。
とちゅうから道が無くなり、藪だらけの道になってしまったのである。
そんな儀一の前に立ちふさがった物は・・・

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岩壁・・・。
藪やら急斜面はなんとか乗り越える事はできるが、流石にコイツは厳しい。
写真では分かり辛いが、ほぼ直角に岩が張り出してある。
なんかこの岩壁をみると埼玉県最凶といわれる比丘尼城を行った事を思い出す。
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運良く下側は獣道になっているようで、道が続いている。
この道を使って岩壁の真下を回りこんでみた。

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どうにか岩の無い尾根道に出たようだ。
しかもご丁寧にトラロープまで張って下さっている。
もっともこのトラロープの向こう側にはあの岩壁があるので、立ち入り禁止の意味合いも兼ねているのかも知れない。
頂上に着いたら先客さんが居られちょっとビックリ。
もちろん城館跡の探訪というよりハイキングで来られたのであろう。
(ので頂上付近の写真が残念ながら撮れなかった)

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丁度木が無かったので頂上からの風景を撮影。
ほんの僅かな削平地があるだけで、城館跡としての遺構は見当たらない。
でもこれだけ長瀞町(中世では藤矢淵郷)を望む事ができるのはよいことだ。

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ついでに昼食をしながら、秩父鉄道の電車を撮影してみた。
電車の種類は分からないが、名撮影ポイントである荒川の鉄橋を渡っている所。
流石にこのアングルはこの田野城からでなければ撮れないものである。

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山が三つ連なっているが、その一番西にある山には琴平神社が祭られている。

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帰りはハイキングコースの案内の逆(親鼻駅方面)を歩いてきて無事帰還。
にしてもあの岩壁は直登をしない限りお目にかかれないよい所だった。
もしかすると現役時代にはあの岩壁を露出させてかの比丘尼城の如く威圧させていたのかも知れない。

(参考:比丘尼城の遠景)
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皆野館(埼玉県秩父郡皆野町)

●皆野館(埼玉県秩父郡皆野町)
三沢氏の居館の手掛かりも掴めなかったので、先の千馬山城城下を抜けて荒川沿いに。
ちょっと離れた所に車を停めて歩いてみた。
特に爽やかに晴れているので、気分も楽しくなってくる。

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途中で秩父鉄道の線路沿いを歩く。
自動でない踏切が残っているのが良い。
特に上の写真の廃踏切もなかなかいい味を出している。
何気にこういうのをみるのが好きなのである。

今回訪問する皆野館は一説によれば丹党白鳥氏の居館説もあるが真相は謎。
ただ、小字に「中居」とあるので、その周辺を探してみるべきか。
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という訳で中居付近へ訪れたが、館跡らしい雰囲気はちょっとするだけ。
もうちょっと奥へと歩いて行く。

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沢が幾つか流れており、天然の要害を構成しているようにも思えてしまうが、真相は?

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調べた所だとこの上辺りが小字中居の場所になる。
さっそくいってみよう。

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牧場か何かだったのだろうか、妙に広い場所に出た。
今はそれほど藪には包まれていない所を見ると、何かに使われている場所なのだろうか。
このあたりは先の沢ともう一つの沢が深く大地を切っていて、秩父地方ならではの館跡と思わせる。

歴史背景不明な館跡の調査はここまで。
次に向かうのは・・・
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この山である。

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三沢氏館(推定地)

●三沢氏館(埼玉県秩父郡皆野町)

色々と資料を見ていたが、丹党三沢氏の居館はどうしても分からなかった。
正確に言えば土地も変わり、それを伝える人も居なくなってみんな分からなくなってしまったというのが現状であろうか。
そんな所だが、ちょいと推定地である字坊ヶ谷戸へ赴いた。

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上三沢のバス停付近には八幡神社があり、このあたりを坊ヶ谷戸と呼ぶ。
三沢地区の小字を調べても館跡関連の名前はここぐらいしかなかったので、真っ先に訪れてみた。
どうもこの裏山が怪しいような・・・

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裏(西のバス通り)から見るとこんな感じ。
確かに川が流れて堅固に見えるが、三沢氏の居た時代に堅固さを求める必要性が乏しくも。

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つづいてその丘の頂上。
地形があくまで自然地形で、砦という予想は崩れた。

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八幡神社より東を見渡す。
稲刈りの終わった田んぼが山間に広がっていた。

ふとその景色を見ていると車で颯爽と現れた年配の男性。
どうやらこちらの行動を不審に思ったらしく声をかけてくださったようだ。
自分が三沢氏の館跡をさがしている事を告げて、しばらく話し込んでしまった。
かっての三沢村は東の小川町方面から秩父に抜ける県道があって、人の流れもそれなりにあったという。
戦後その県道はなくなり、それまで主要産物であった織物も作られなくなって寂れてしまったという。
歴史は全然知らないという事だったが、こちらの話を楽しそうに聞いておられたので色々と情報交換してみた。
この三沢地区には更に曲谷戸と陣場という地名が残されているという。
これは新しい館跡探索の情報としてありがたく頂戴して、礼をして別れた。

また後日三沢氏の館跡を探す事になりそうだ。

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玉川氏館

●玉川氏館(埼玉県秩父郡皆野町)
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ここは初めて来たのだが、正光寺への参道がまっすぐ延びているのがとても印象的。
では早速この参道をあがっていく。

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上がる最中も進行方向左のこの空間が気になってしまう。
墓地でもないのだが、妙に整地されているので目立つ。

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正光寺の本堂。
まったりと過ごすにはとてもよい所にある。

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本堂脇に小さな五輪塔のような石造物もあった。

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館跡からの眺めも前方のゴルフ場の山よりは標高あるのが分かる。
しかし、周囲の視界はイマイチの為、隠れ住むための館とも見れそうだ。

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千馬山城

最近平野部の館跡ばかり訪問していたので、山城が苦手になっているような気がした。
のでせっかくシーズンが到来したので、皆野町の城館探訪をする事にした。

●千馬山城
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意気込みすぎて麓に到着したのが六時少々過ぎ。
外は薄明るくなってきてはいるのだが、カメラの写りはまるで深夜。
そもそも千馬山城を再訪問するのも六年半ぶり。

流石に少々間が空いたためか、他の城跡と記憶が混ざってしまっている。
登り口も思ったより奥に入ったところで、人の記憶の曖昧さを実感できた。
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鉄道の勾配標みたいになっているが、一応千馬山城への案内標識。
民家の手前をすり抜けて、登って行く。
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しばらく登ると土橋を備えた門跡に着く。
うーん、とても素晴らしい遺構だ、思わず山城のありがたさをマジマジと感じる。
思わずこのあたりで15分も見入ってしまう。

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曲輪と土橋&堀切が交互する、実にいい遺構だ。

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本曲輪に到着。
相変わらず良い。

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そして櫓台の上にてご来光を拝む。

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前回見落とした北西の掘切もしっかり堪能。
この先はかなりの急崖にも関わらず、しっかり切ってる所が素晴らしい。

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この城で特筆すべき遺構として東側にある二重の堀。
数ある千馬山城の遺構で、ここが一番好きだったりする。
っともうちょっと居る予定だったのだが、急にトイレに行きたくなったので転げ落ちるように降りる。
そんな事で次の城館跡へ。

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