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市川氏屋敷

●市川氏屋敷(埼玉県入間市)

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屋敷の跡地は龍円寺にあったとされる。
その南側は霞川が低地を作っており、屋敷は加治丘陵の一部を利用した所にある。

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先ほどの入口から登って振り返ってみる。
ちょっと標高が高く、割と遠くまで見通せるような感じである。
龍円寺の本堂は丘の中腹に建っている。

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なにより気になるのはこの龍円寺の裏山である墓地であろうか。
丘は表面を墓地に塗り替えられてしまっているが、独立した丘の形状は残している。
近くは古道の枝道が加治丘陵を越えており、この丘はその枝道の南を遠くまで見通せる。
何気に気になる地形だ。

関東にやってきた徳川家康の家臣たちは中世期の館跡をそのまま屋敷に利用したケースが多く見られる。
当屋敷もその中世期の館跡を利用した可能性は考えられる。
しかし、現状がこれではもはや地表から調べるのは難しい。

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土屋氏屋敷

●土屋氏屋敷(埼玉県入間市)
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裏で国道16号線が走っており、周辺もだいぶ開発されている。
そんな中、土屋氏・加藤氏の屋敷の伝承のある長久寺は、なんともゆったりとした空気を持っている。

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本堂の東には土屋氏と加藤氏の墓が並ぶ。
後に土屋氏の一族が長久寺の住職となっている。
しかしこれ以外屋敷の遺構を思わせる地形は発見できなかった。
広い境内では子供たちが元気よく遊具で遊んでいた。

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大森氏屋敷


●大森氏屋敷(埼玉県入間市)

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江戸初期の屋敷跡で、大森公民館付近がその屋敷跡であるという。

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南側は不老川(としとらずがわ)によって低地になっており、北側(屋敷側)が自然堤防により若干高くなっている。

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西側を南北に走る公道付近にも土塁らしき高まりがあるが・・・これは遺構?
(実は遺構ではなかった)

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公民館より時計回りに周ってきたら、途中で大森氏墓所への案内があった。

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おお、これはいい宝篋印塔。
武蔵野の数少なくなった雑木林の中に静かにたたずむ所がなかなか。
それにしてもこのあたりも開発が進んで、美しい雑木林がどんどん無くなってきているのが寂しいものだ。

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だいぶ浅くなっているが土塁らしき高まりもある。
このあたりも工場などが出来てしまっているが、今の状態をなんとか保って将来に残して欲しいと思ったりも。

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宮寺館

ようやく(個人的な)正月がやってきた。
となると正月にする事と言えば・・・城館探訪である。
しかし、午前中は私用で費やしてしまったので、時間がない。
そこでちょっと足を伸ばして入間市へ。

●宮寺館(埼玉県入間市)

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村山党の村山頼家の子家平が宮寺郷に住み宮寺五郎を名乗ったのが始まりという。
その有力地としてここ西勝院がある。
早速境内の見学をさせて頂く事に。

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山門の脇には宮寺氏の館を示す標もあり。
宮寺氏の解説を記した案内板は境内にある。
お寺の方に見学をする旨を伝え、早速土塁へ向かう。

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解説板と土塁。
既に南東部分と山門脇ぐらいしか土塁は残されていないが、この保存状態は良い。
しかも外側に若干浅くなっているが空堀がある。

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お寺の方に聞くまで知らなかったが、西勝院の北東にある三ヶ島製材さんの北側にも解説板が。
こちらはガラスケースの中に筆で書かれており、境内の解説板より熱い。

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しかも館跡の図面付きというゴージャスさ。
それにしても「字城腰」っていい名だ。
でもこの図を見ると宮寺館って方形館の概念で見ると矛盾があるような・・・。
戦国期あたりになると西勝院を西端として東に曲輪を作ったのかも知れない。

実は戦国期の後北条氏にも宮寺氏は本貫地を持ちつつ仕えているのだが、
当館は南北朝期には新田氏の配下である加納氏が居住していたりして、混乱がある。
まだ入間市は小字を調査してないので、早々に調べる必要があるかも知れない。

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武蔵直登再集結

久々に武蔵直登(という名の城館好き集団)の集まりに参加させていただいた。
目指すは群馬県の山城シリーズである。

●金鑽御嶽城(埼玉県神川町)
集合時間が8時なので、ちょいっとウォーミングアップを兼ねて御嶽城登りに。
数年ぶりの御嶽城は色々な意味で新鮮さを感じさせられた。
ついでに二日早い初詣と日の出鑑賞および鏡岩の見学をさせてもらった。
肝心の遺構については集合時間に遅れそうになりそうだったので、本曲輪直前にて撤収。


読みが正しく集合時間の5分前ぐらいには集合場所に到着。
久々の武蔵直登の全員終結かと思いきや軍曹殿が急遽ご欠席に。
城館跡よりご家族様の方が大事なので、やむを得ない事であったり。

これから群馬県神流町の城館跡を見る予定だったのだが、
天候が怪しく降雪の恐れがあるので予定を変更して富岡方面へ移動。

●蕨(根古屋)城(群馬県富岡市)
つい最近大将であらせられる和平様の訪れられた城館跡。
実は自分は初めて訪問する。
丘陵地の合間に築かれた城で、竪堀などの設備は少ないものの、
広々とした曲輪を有しているのが特徴。
南方の眺望がよく効く。

●内匠城(群馬県富岡市)
近年の上信越自動車道建設により一部破壊された内匠城へ。
高速道路の側道に車を停め、内部に侵入。
中には素晴らしい遺構が眠っているが、藪に埋もれて無名になっている。
これは藪を取り払ったら間違いなく甘楽町の庭谷城を超える評価がある。
ちょっとテンションがあがって、急斜面の降下を行って腰曲輪の状態を確認。
これだけの遺構があまり知られていない群馬県の凄さを実感。

●八幡山砦(群馬県甘楽郡甘楽町)
内匠城の東に位置する物見の砦で、緩やかな丘陵上に所在していた。
現在は公園となっており、南側の運動場に車を停めての探訪。
周辺の見晴らしがよく、とってもまったりできる場所である。
また北にも砦があったようだが、牧場化されている。
その牧場にたむろっている羊を見ながらメンバーのんびりと。

●上野屋敷(群馬県甘楽郡甘楽町)
ここも今回初、先の八幡山の近距離にある方形館。
ただの館跡を思いきや巨大な土塁が現れビックリ。
こういう遺構が隠れて存在するから侮れない。

●茶臼山砦(群馬県高崎市)
今回最後は高崎市城山団地付近にある茶臼山砦へ。
閑静な住宅地をちょいとあるいて訪問。
山頂に平場程度のものを想像していたら、堀切および横堀を有する場所であった。
遺構と周辺の眺望のよさを目の当たりにし、とても満足。
皆様房総方面にて培った藪漕ぎ技能にて、笹薮の中へ突進をされていく・・・。
つられて自分も久々の藪漕ぎを敢行、遺構はさして見られなかったが藪漕ぎ技能は向上したような・・・。

打ち上げは埼玉県内のファミリーレストランにて。
全員鉄板からはみ出す程の巨大ステーキを食しながら城館談義を。
今回も大変勉強になりました、感謝。

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