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いいお日柄でも家に篭城中

今日は埼玉県内の城館跡の調査に行きたかったが、資料を読み直す事になってしまった。
たまたま我が家からは桜の咲く所を望む事ができる。
そろそろ散り行く桜を見ながら資料を読み直す事も、また味わい深い。

って事で近日サイトのアップができるといいな。


ちっと更新が進んだら、自分のサイトの文面を某翻訳サイトで英語化してみる。
これがちょっと面白い、更に面白いのが元の日本語に翻訳する時。
以下に挙げる内容が分かればあなたは立派な日本史好き・・・かも。

のに対して 上のその親の死取りがジョシュウにジョシュウに武装した後に新田義貞の子供である1352年、ヨシオキ、およびヨシムネ兄弟において兄弟が、1352「カノで暴動を起こしてください」のうちのものによって血族の口論をしている足利尊氏とヨシナオ 、そして、戦いが取り外したムサシノ。 仲間が10万人の兵士に含められていた南ヨコヤマ仲間〈早く朝、コダマ 村山仲間などの仲間、黄褐色の仲間、およびムサシ7の仲間 の〉とイノマタ。
 イシハマは、兵士および彼が、ヨシオキとヨシムネを、南北、鎌倉から免れられて、北にあり、フィールドをムサシノに持って行ったヨシムネで狙いを取ったタカウジに分かれたと知っていた時を配置しました。 結果北法廷のタカウジがイルマガワを同時に開始したこととKotesashiフィールドとコマによってフィールドとも強烈に戦ったことと勝ったこと、および鳩山町の笛吹峠への左のヨシムネ軍隊。 ヨシオキおよびこのリポートを聞き、またサガミのカワムラ城に退却した役員と人の後でそれがエチゴに降りかかった鎌倉の他。
 ムサシ それを上記に与えた7の仲間と南法廷人、およびそれによって並ぶ Kawakoe、Edo、トウシマ、コマカネコとのこのムサシノ戦いで切望している およびたとえ私がかさかさいっていても、私は タカサカおよびムサシ戦士の間の北法廷人のための他 それを持っていました。


面白いのが武蔵七党が「ムサシ7の仲間」になる事。
まぁ、意味は合っているとは思うが・・・法廷人って凄い変換だ。

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