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身体がおもーい

マラソンしてきたら、やけに身体が重くってきつかった。
月曜日の信州城探訪において、五本松城で無念の撤退があったのでそれに伴うものか?
筋肉痛は特に無いのだが・・・

内山城とセットに組んだ五本松城だったが、稜線伝いに行く作戦に思わぬ伏兵がいた、無数の倒木である。
内山古城までは順調かつ歩き易い状態だったのだが、五本松城に向かう尾根筋は異常な程歩きにくかった。
この倒木の嵐で身動きが取れず、挙句に服まで破ける激しさに。
採石場から聞こえてくる音を聞く内に、群馬の天引城を初めて訪れた時の悪夢も蘇って、行く気が失せたのである。
でも後でネット検索したら五本松城って堀切りがあったようだ。

ああ、五本松城の堀切が見たかった。

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関根氏館(埼玉県志木市)

埼玉県では「関根姓」の割合が他県に比べて非常に多いそうだ。
それを反映してか埼玉県の中世城館跡にも関根氏が居館としていた所は三ヶ所ある。
今回訪問する関根氏館は志木市の河原岸にあったとされる館跡である。
羽根倉の渡しの付近に位置し、徹底破壊と思いきやほんのりと館跡の名残がある。
流石に道路の形状まで喪失(変革)されていたら萎えるが、この微妙な残り具合は好きである。

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これが関根氏館のあった場所の遠景。
土手の上からその痕跡を見ると、中世城館跡の慣れの果てという哀愁が漂ってくる。
では土手から降りて、現地を見てみよう。

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この道はかって「羽根倉の渡し」があった当初現役だった道で、この先にその羽根倉の渡しがあった。
自分の好きな「迅速測図」でこの場所を見ると、その渡し周辺には数軒家があったようだ。

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その道の傍らに、なにやら怪しげな土盛りがあったりする。
まさか・・・土塁が残っていたのか?と期待したくなってしまうが、真相は不明である。
もしかすると草が盛り上がって土塁に見えるだけかも知れない。

グランド造成される前の状態で見たかったというのが本音。
でもあれがもし館跡の土塁であったとしたら、残して欲しいものだ。

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難波田城(埼玉県富士見市)

難波田城は富士見市で最も保護されている遺構で、史跡公園として整備されている。
実はこの城、今回含めて三回ほど訪れているが、一回も晴れた日に来た事がない。
たまたまであると思うが、他にも雨にしか訪れた事の無い城もあるので似たようなものか。

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「難波田城公園」は南側から入ると、旧家の立ち並ぶ何とも凄い雰囲気に包まれる。
旧家はあまり興味がないが、そののんびりとした光景は結構好きかも知れない。

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折角来たのだから資料館で資料を・・・と思ったら、今日は月曜日だったので休館日。
ここの資料館はたまに面白い資料が見られたりするから期待していたのだが、残念なり。

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蓮の池にポツンと花開こうとしている蓮の花。
行ったのが六月上旬で、これからどんどん花開いていく事であろう。
ちなみにこの付近の小字は蓮田で、その名残を残していると言える。

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最初見たときには「結構小さな墓石だな」って思っていたが、後で資料を調べて見ると十玉院の名残であった。
十玉院はこの辺りでは有名な修験場で、この富士見市から志木市に掛けての中世歴史を調べるとこの十玉院の歴史にぶつかる。

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そしてこれが史跡公園として整備された難波田城の今の姿。
水堀などは発掘調査の結果を基に再現されているので、それなりのよさはある。

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本曲輪付近は残念ながら大部分を民家が占有している為、一部しか公開されていない。
それでも石碑を置いたりして、本曲輪に来たぞという達成感は味わえるかも。

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復元された木橋もある。
これも発掘調査の結果、橋を支える柱が見つかった為に架橋された。
復元遺構ぐらいじゃないと橋はメンテナンスが大変なので滅多にお目にかかれない。

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他にも食違い小口や木戸(城戸)など色々と整備されているので、中世城館初心者には勉強になる場所だと思う。

他にも難波田城祭りにて火縄銃の実演もやっている。
過去にそのレポも書いた事があるので、そちらも拝見されたし。 → こちら

他にも数ヶ所城館遺構と思われる所が富士見市にあるが、未だに調査していない。
後日再び訪問して調査してみねばならないな。

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信州に行ってみた。

他の武蔵直登の方々が信州の城館攻めをされていたので、自分も行ってみた。
東部の佐久地方ぐらいしか資料が無いのだが、それでも楽しく行ってこれた。

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夜明け直後の群馬県荒船山の艫岩。
国道254号で長野入りする際に撮影したもの。
相変わらず恐ろしい山容だが、登らないので鑑賞するだけなら問題なし。

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こちらは長野の山城の一つ。
長野県側は丁度霧がかかっていたので、それがかえって幻想的な城館写真に仕上がったりも。

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今日は素敵な青空の下、城館探訪する事ができて楽しかった。
ただ、午後3時ごろより雨が降り始め、テンションはガタ落ちに・・・。

この模様は後々ブログにアップする事に。

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多門氏館(埼玉県富士見市)

多門(おかど)氏館は中世期の館跡に徳川氏の旗本多門氏が住んだことから因む名前である。
以前は何故か木が生い茂ってるという理由で撤退していたのだが、やはり訪問していないのは気がかりだった。
そこで今回の訪問となった訳である。

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前は森だった多門氏館が、綺麗に伐採されて発掘調査されていた。
なんのめぐり合わせか?館跡は今新たなる真実を求めて掘り返されていたのである。

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堀はしっかりと従来の姿を取り戻しているようだったが、残念な事にブルーシートが被っているので中が伺い知る事ができなかった。
でもこれを見るだけで結構深い堀のようである。

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館跡内部もしっかり発掘されており、幾つかの柱穴が顔を覗かせている。
中世期の屋敷は基本的に掘立式であり、家の柱を建てるのに当然穴を掘っている。
この穴のお陰でその館跡にはどの位の規模の屋敷が建っていたか、垣間見る事ができる。

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他のサイトでは木が生い茂っている写真が多かったが、これを行った時には見事な見ごたえがあった。
本当は発掘調査をされている調査員の方に話を伺いたかったのだが、忙しそうに動いておいでだったので声をかけるのを控えた。
後日同地を再訪問された「そこに城があるから」の左馬助さんの話によれば、住宅開発による発掘で遺構は喪失してしまうとの事。
確かに中世期の館跡なら液状化現象の心配はほぼ無いが・・・できたら後世に残して欲しい遺構の一つでもあった。
この日は心残りが無いように、徹底して撮影してきた。
せめてこちらの堀は残して欲しいものだ。

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