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横山党田谷・中野・矢古宇各氏の所在地を探れ

横山党田谷氏
一部の資料には北埼玉郡田谷村を領していたとされるが・・・
現在の行政区で田谷と言われる場所は北埼玉郡に見当たらない。
北埼玉郡にこだわらなければ深谷市に田谷という大字がある。
現在熊谷市になる場所に奈良氏が居館を構えていた。
この奈良四郎の弟忠兼が田谷氏を名乗ったとされるので、奈良氏の館跡に程近いという点でこの地と推定できるかも知れないが・・・この辺りがよくわからん。

横山党中野氏
上記の田谷野五郎忠兼の長子師兼が中野次郎と称している。
一説には現在の東京都中野区とも言われるが、その領地は不明。

横山党矢古宇氏
上記の中野次郎師兼の子が矢古宇五郎を称した事により始まる。
矢古宇は現在の埼玉県草加市周辺とされており、草加村や谷塚村などが矢古宇郷に属していた。
後年その書きを「谷古宇」に改められ、江戸期に奥州街道草加宿として知られるようになる。

っと三代に渡って見て来たが、その所領がめまぐるしく変わっている。
中野氏はよく分かっていないが、大まかな居住地の分かる田谷氏と矢古宇氏に関して言えば比較的遠距離に移動している。
矢古宇郷は鎌倉時代から奥州街道の要所とされていたので、幕府より矢古宇の地頭に命じられたと考えられそうだ。

いずれにしても過去の資料が残されていない限りは迷宮入りのようだ。

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嵐の中の思考

最近、県外の城館跡ばかりブログに書いていて、埼玉県の城館跡について書いてない気がした。
たしかに一日行っただけで十数ヶ所の城館跡を訪問してしまう訳だから、一日一ヶ所ブログ書いていたら書く所が増えるに決まっている。
そうか・・・これが当サイトとリンクしているサイト様が悩んでいる「在庫」なのだな・・・納得。

県外ばかり行っているようで、実は埼玉県でも怪しい場所や、城館まがい地が次々と見つけている。
やはり小字調査をしてしまうと増えてしまうのである。
中でも一つの大字に「●●貝戸」という小字が幾つも名づけられているのは気になる。
現地は山の斜面に今も民家が点在しており、中世期にも武士が居住していた可能性は充分考えられるし・・・。
場所の立地条件やその他諸々から、城館跡があった可能性を模索してみる必要ありだろう。

それにしても台風の風が強いな。

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大井城(長野県佐久市)


大井城所在地

雨はもう止む気配を見せない中、なんとか城館探訪を試みている。
次に訪れたのは大井氏の居城でまんま大井城。
大井城とは総称みたいなもので、南から「黒岩城」「王城」「石並城」の三からなる。
まとめて探訪してみた。

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黒岩城は数年前まで南に伸びる尾根があったみたいだが、近年宅地造成によっておおよそ半分ぐらい喪失している。
写真はまさにその削り取られた場所で、いたって普通の住宅地になっている。

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白山神社はその削られた部分を残っている。
台地が喪失する前にに行ってみたかった。

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黒岩城と王城の間は県道が走っており、切通しの道が拡張されて今のようになっているようだ。
最初王城は公園になっているとの事で駐車場を期待していたが、残念ながら駐車場を見つける事が出来なかった。
(ので先ほどの黒岩城の付近に停めてきた)

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王城公園はまんま公園になっており、中世城館跡を偲ぶものは解説板と石碑以外ちょっと見当たらない。
雨の降る公園は人が誰も居らず、雨音以外は静寂そのものであった。

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王城公園の奥にはケヤキの古木がある。
これだけの樹齢であるからもしかすると大井城が現役であった頃も見ている・・・かも知れない。
でも発掘調査などでこの城が戦火にさらされ、炎上している事が判明しているので何とも。

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石並(いせならび)城も王城と切り通しで区切られた城で、城の台地は現在も崩落が進んでいるようだ。

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この地域お得意の地肌の出た絶壁が城の堅固さを視覚で訴えているかのよう。
崩落進行地区なので、当然ここに取り付いて登るのはほぼ不可能かと。

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石並城の殆どが墓地になっている。
先ほどから書いている通り崩落進行地区なので墓地は大丈夫なんだろうかと要らぬ心配をしたりも。

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墓地に入って王城方面(南)に少し進むと・・・なんとなく現役だった頃の曲輪の面影を見ることができた。
西側は岩村田の集落が密集している所にありながら、この雰囲気を残せたのも墓地のお陰か。

って事で総称大井城と呼ばれる三城を軽く回ってみたが、破壊は進んでいた。
でも墓地に関しては地表上は破壊されても台地が人の手で削られる事はなさそうだ。
雨も依然降り続けているので、今日の城館探訪はここで打ち切り。
昼寝をして帰る事にしたのだった。

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白岩城(長野県佐久市)


白岩城所在地

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軽井沢から流れてきた湯川が削った斜面を利用した城で、別名平尾氏城とも呼ぶとか。
雨が結構降ってきたので、傘をさしながらも平野部の城館めぐりと行く事にしたのであった。
(写真は後日撮影した白岩城遠景)

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平根小学校付近で県道が不自然なカーブを描いている。
これも白岩城の名残?

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白岩城は現在殆どが民家・耕地・学校敷地となっているので、明確な遺構は残されていない。
やはり歴史的に不明な城館はよほど凄い遺構が無い限りは消える事が多いものだ。

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平根小学校校庭、夏休みでかつ雨が降り始めた事もあって、校庭には人一人も居なかった。
それにしてもどんどん降りが激しくなってきたような。

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学校より南に行くと白岩城の端部に着く。
この道もかって堀を利用した切通しだったのだろう。

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本当に降りが激しくなってきたので、車に乗って早々に撤退した。
ここは石碑もなく、本当に人々から忘れ去られそうな城であった。

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平尾富士砦(長野県佐久市)


平尾富士砦所在地

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平尾山には平尾城(別名秋葉山城)と平尾富士砦の二つの城郭があるという。
最初スキー場化されているとの事で行けるか心配だったが、行くだけ行って見た。

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場所は上信越自動車道の佐久平サービスエリアの北にそびえる山なので、スマートICを利用できる人はもう着いたようなもの。
駐車場豊富なので車の停め場所に迷うことないのが良い。

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平尾山公園では行った日昆虫のイベント開催中だった。
虫は触りたくも無いが、興味のある人にはたまらないイベントなんだろうな。

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流石に季節は夏なのでスキー場に雪はない。
その代わり斜面をすべり降りるソリの様な乗り物がお子様方に大人気。
ちなみにゴンドラは片道350円で自分の感覚では高め。
近くの売店でソフトクリームが売ってたので、乾いた喉をそれで潤わせ、その高めのリフトに乗ることにした。

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そんな事でリフトに搭乗中。
足をブラブラさせられるので足首を軽く回したりして、徐々に上がっていく景色を楽しむ。
なんか山頂付近に雲が出てきているように思えたりも・・・しかもゴロゴロ言っているし。

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平尾富士砦へ行くにはもう一回リフトに乗ると楽。
しかし、再び350円の運賃がかかるのがきついかもな。
そういえば乗る時に係員の人に「停電になったらリフトは止まりますのでそのまま待っていてください」と言われている。
そういえばさっきゴロゴロと雷みたいな音がしていたが、そういう事なのか。
このリフトに乗りながら雨に打たれるのは・・・キツイ。

そうこうしている内に一番上へ。
「雷が鳴っているので早めに戻って下さい」と係員の方に言われ、速攻で平尾富士へ向かう。

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今のところは日差しはあるが、北の軽井沢方面からは雨雲らしき雲が迫っていた。
まったく麓から登るに比べたらだいぶ時間短縮されているので、急いで上っていく。

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しばらくすると堀切が現れる。
平場だけでもあればと思っていたので、堀切の出現は嬉しい。
でもそろそろポツポツと雨粒が頭を穿ちは始めたので、急がねば。

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平尾富士砦の平場(本曲輪)
結構削平されており、この地方の狼煙台のレベルはこちらとしてはかなり豪華な遺構。


平尾富士砦からの眺望は佐久平を一望できる絶景。
雨がポツポツとしてなければしばらく眺めていたのだが・・・写真を何枚か撮って撤収。


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ちょっと降りた所で再び振り返る。
この様に周囲の木は伐採されている為、見晴らしは良かった。
段々降りが激しくなってきたので、やむを得ず非常事態用の携帯カッパを装着。
安い携帯カッパなので一回ポッキリなのだが、濡れて降りるよりかはマシか。

かくして雨のお陰で途中で平尾城に立ち寄る予定が立ち寄れなくなってしまった。
さてさて、今日は雨が降り始めたし・・・どうするか。

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