愛車謝恩城館探訪 その7 そろそろ今日の城館探訪も佳境に差し掛かってきた。 膳城を出て西に向かい、あの思い入れのある大胡城を本日最後の城にしようかと考えていた。 ところが、大胡城へ向かう途中で見つけてしまったのだ。 「 中村城跡 → 」と書かれた錆び付いた小さな案内を!! ●中村城(群馬県前橋市) あの錆かかっていた案内に何の魔力があったのか知らないが、それに導かれるようにこの城に来てしまった。 県道沿いにはしっかり曲がり口を示してくれていたが、その後の案内は見当たらない・・・。 ふむ、これは今までの城館探訪で培った勘で場所を当てるしかない!! これも凄い事で「あの辺りかな?っと思った場所に行ってみたらこの解説板を発見。 ふむう、この城にはなにかありそうだ。 やや埋もれてしまっているが、水堀が公道より見る事ができる。 大概の館跡は堀を埋め立てて公道を作る事が多いが、この城は堀を残す形で道が作られていた為に残っていた。 流石にこれだけ水が見える堀だとズブズブと埋もれる可能性が高いので、今回は突っ込まず観察でガマン。 折角なので我が車と堀沿いに植えられた桜とのツーショット。 ああ、まるでこの桜が「今までお疲れ様でした」と言っているように感じてしまうのは自分だけか? 他の城館跡の桜はまだであったが、ここの桜だけは七分咲きぐらいであった。 これもあの小さな案内板の起こした奇跡であろうか。 桜の植えられている辺りは土橋状になっており、その先には使われなくなって久しい(虎口?)がある。 その先には民家があるが、幸い藪が視界を遮ってくれているので、虎口っぽい地形がクッキリと見える。 そのまま北側をぐるりとしてみると東部の怪しい地形が見えてきた。 これが中村城の東側の備えであろう。 写真の内側は児童公園になっているようだったが、公園に入るのを忘れていた(汗 南側は宅地化されており、遺構は喪失しているようである。 城の北東付近にはかって武田軍によって落城した際に奮闘したという姫の供養塔が建っている。 石碑には「姫塚」と書かれ、裏面に城と運命を共にした姫の悲劇を書いてある。 恐らく地主の方であろうか?塚の周辺を綺麗に掃き清め、新しい花を生けてあった。 姫塚を全体的に見たら、そこにも桜が元気よく咲いているように見えた。 今日城館探訪をしてきた中で、この中村城の桜だけは非常によく咲いていたのも不思議な縁である。 他の桜に先駆けて花を咲かすその姿に、かっての姫の勇姿が重なって見えるのもまた不思議。 それにしても飛び入りでメニューに追加された中村城。 そんな中村城に我が愛車が最も労いの桜を見せてもらうとは思いもしなかった。 なお、その北にも月田館という館跡もあったそうなのでちょっと回ったが、宅地化されて見つける事が出来なかった。 やはり遺構が残されているというのがどれだけ強いのかを見せ付けられたのであった。 さて・・・今更だが大胡城に向かおうか? いや、道路が渋滞しているので、大胡城に着く頃には夕闇に包まれているだろう。 これまた予定を変更して、本日最後の訪問先をあの城にするべく移動を開始した。 つづく [0回]PR