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本日お勉強DAY

今日は天気が良く城館探訪に最適な日だったが、あえて出かけず家で色々と勉強していた。
最近特に自分の無知さが目につくので、これからの事を踏まえて勉強した。
このあたりの事が充実してこその城館探訪なので、心おきなく城館探訪できるように頑張ってみたい。

今日もお月様がきれいなんで、後で一杯月見酒でも飲んでみよう。(酒に弱いけど)

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上和田砦(愛知県岡崎市)


上和田砦所在地

大久保忠隣にゆかりのある上和田の砦を訪れた。
忠隣は徳川家康が関東に移封された時、埼玉県羽生市にある羽生城主となったが、本人は入らずに城代が置かれたようである。
でもこの遠征の後、当サイトとリンクされている「城郭写真記録」様を拝見したらだいぶ見落としがある事に気付き、結構ガッカリ。

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それを知らずに愛知県岡崎市上和田町の浄珠院を訪れた。
山門の前に小堂が建てられており、もやは山門が飾りに見えてしまったりするのだが・・・。
ちょっとネット検索で来たので外れている可能性大。

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境内の案内板によればこの地を本陣に家康が一向一揆討伐の指揮をしたのだとか。
そういった意味で中世期の陣城ではあるが・・・大久保忠隣のゆかりの地とはちょっと違うようだ。

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本堂の付近には徳川氏の「徳川葵」の紋がいくつか施されており、徳川氏にゆかりの寺であった事を伝えているようだ。
最初っからハズレで今回の遠征・・・先が思いやられる。

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次なる目的地へ向かおうとし、交差点で信号待ちをしていたら・・・
なに!?城前???
ここが城前だとしたら・・・・この周辺に城があるはずだ。
って事で予定変更で、周辺の捜索に移行する。

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そんでちょっと歩いて探してみたが、狭い路地に民家が建ち並んでいる光景のみ。
いや、この道の形状がいかにも昔からの形を漂わせているので、それらしさは感じるが城館跡に結びつく遺構は発見できず。

かくしてここが消化不良気味だったので後ほど調べ直してみてハズレばかりであった事を知ったのだった。

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草刈する儀一

日中草を刈っていたら、まだまだ夏だなっと感じさせられた。
それ以上に雑草がアスファルトの隙間からニョキニョキ生えているのが根性あるなっと思ったりも。

ただ今儀一の城館旅の各ページをマイナーチェンジ中。
当初作ったページ構成だとどうもきつくなってきた感じがあるので、現在の状況に合わせた変化をさせている。
それにしても地道だ・・・かと言って更新ページに堂々と書くような内容ではないし。
まだまだ先が長いが、地道にやっていこうと思っている。

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岡崎城(愛知県岡崎市)

先月、愛知県の城館跡を訪ねて回った。
テーマは「埼玉にゆかりのある武士の城館を訪ねる」というもの。
事前にネットなどで調べて行ってみると・・・遺構は乏しいところが多いのだが石碑が多い事。
そういった意味で愛知県は羨ましいと思ったりも。


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早朝、夜行バスで名古屋に降り立った。
天気はあいにくの曇り空で、今にも雨が降りそうな天気だった。
それで名古屋に来て驚いたのは関東のICカードがいつの間にか名古屋の鉄道でも使えるようになった事だ。
そんな事で6時頃の電車に乗って、目指す場所は岡崎市。
何気に今回のテーマだと徳川家康の家臣が多いので、必然的に岡崎・西尾周辺になってしまうのである。
現地についたらレンタカーを借りようと予約入れてあるのだが、レンタカー屋が開くのが午前八時。
待っているのがもどかしいので、いっそ岡崎城でも見に行く事にした。

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ここで誤算が一つ、当初岡崎城に行く予定がなかったのでJR岡崎駅に行ってしまったのだが、
実は岡崎城は愛知環状鉄道の中岡崎駅か名鉄の岡崎公園駅が最寄駅であった。
普通ナチュラルな岡崎が中心地ってイメージあるから、真っ先に行ってしまったのだった。
一時間に4本程度の愛知環状鉄道に乗り換えて、中岡崎駅をおりてしばらく進むと、ようやく岡崎城の案内標識がでてきた。

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国道248号の地下道を抜け、住宅地を抜けてようやく岡崎城の西を流れる伊賀川へ着いた。
この城もよくある川の合流地点を自然の要害として築かれており、この伊賀川と南の乙川で天然の要害となっている。

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かくして城内に侵入。
やはり石垣って迫力がある。
普段は撮影できない石垣をじっくりとカメラに収めてみた。

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ようやく岡崎城の天守にご対面。
・・・確かに松の木が撮影を妨げてる。
天守は早朝という事もあって中に入れない。

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こういう近世城郭は見た目が迫力があるので見ごたえはある。
見ごたえはあるのだが・・・遺構の乏しい中世城館に比べて興味がそそられない。
やはり観光地なのだなっと思ってしまったのであった。

かくして時間になったのでレンタカー屋へ向かい、二日間お世話になる車に乗って本来の第一訪問地へ向かったのだった。

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平本氏屋敷(埼玉県吉川市)


平本氏屋敷所在地

慶長年中、関東郡代の伊奈忠治に仕える事になった下総国浪人平本主膳定久が、三輪野江地区を開発して住んだ屋敷とされている。
その出自は松戸市の小金城主高城氏の一族であったが、天正十八年の小田原の役で浪人する事になったようである。

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平本氏の屋敷と伝えられる場所は現在も人がお住まいのご様子。
ただ平本さんかどうかは未確認。
屋敷林があるあたり、いよいよ屋敷跡という実感が沸いてくる。

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その屋敷林の真横には堀らしき溝が伸びている。
うーん、明確でないにしてもこういう地形を見るだけでワクワクする。

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写真じゃ分かり辛いが、垣根と同じ高さぐらいの土盛りがある。
これが土塁だったりすると興奮度が高まってしまうかも。

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一部水田となっているようだが・・・屋敷の規模が少々小さいのは江戸期の屋敷だからだろう。


ちなみにこの辺りの加藤・飯島などは江戸初期の開発者の姓であり、その功績によって村名になったようである。
なので探し方次第ではもっと屋敷があったのかも知れないが、今のところはここまで。
また近い内に吉川市も再訪問せねば。

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