竹谷城(愛知県蒲郡市) 竹谷城所在地 竹谷(たけのや)松平家は松平十八家の一つで、松平家清が天正十八年(1590)に今の埼玉県本庄市の雉ヶ岡城に一万石を与えられた。 宝飯郡竹谷の地は南を三河湾に面しており、山の斜面に有るため海を見下ろす事のできる住み良い場所である。 それが内陸の雉ヶ岡城に移されたというのはだいぶ環境が変ったと思える。 そんな竹谷に今回訪れてみた。 竹谷城の場所は大体分かっていたが、どの辺りにあるのかは具体的に把握していなかったので探すのにちょっと時間がかかった。 おそらくはこの丘になっている所だろうと目星をつけていたが、後日調べてみて正解だと分かってほっと一息。 この辺りの道は狭く、車を停める場所に困ったので某ショッピングセンターに停めさせてもらった。 では早速内部の状態を調べにいこう。 北側に道があったのでそれを通っていく。 一応削平された腰曲輪のような部分にたどり着いた。 比高差が10mぐらいしかないので楽々行けるようだ。 少々分かり辛いが虎口のような場所もある。 着いたそこは栗畑(?)であった。 もっとも藪か民家に比べたら調査しやすので助かる。 そんな事で周囲を調べてみたものの、地形では一番高所にあるものの、堀などの遺構は見受けられなかった。 だが、端部には僅かながら土盛(土塁?)もあるようである。 変ってこちらは南側の光景。 フェンスに囲まれているところがあり、ここは調査するのは控えた。 後でこの場所をネットで調べたら石碑もあったようだが、今回はそれを見逃していたようである。 城とは直接関係無いが道路脇に朝顔が咲いていたので記念撮影。 でも朝を過ぎても咲いているので昼顔か? 青紫の良い花を咲かせていたのでちょっと見入ってしまったのであった。 [0回]PR
長沢城(愛知県豊川市) 長沢城所在地 長沢松平氏は三河国宝飯郡長沢の出で、埼玉県とは徳川家康の従兄弟の子である松平康直が武州深谷城に一万石で入城している事でゆかりがある。 では早速行ってみようとしたら・・・思い切り国道一号線で交通渋滞に巻き込まれ、予想以上に時間がかかった。 長沢城内は国道一号線が貫通してしまっており、その部分は破壊されている。 しかしながらその名残は残っており、南側に突き出た尾根を利用した城であると分かる。 破壊された尾根の一角には長沢城碑があり、今は石蓋で閉ざされた井戸もあるようだ。 移動してこちらは旧東海道。 長沢城は御殿としても使われたようで、右にある長沢小学校はその跡地に建てられたという。 長沢小学校の法面には長沢城に関する解説板があり、付属している地図には幾つかの堀に囲まれた長沢城の姿が描かれている。 もっとも城らしい面影を残す場所はこのお堂の辺りになる。 お堂の背後には国道1号線が走っており、風景に似合わず車の走行音が絶えず聞こえてくる。 この辺りには手を加えられたような跡が残されており、城の一角として使われた痕跡が残されている。 もうちょっと調べたかったが季節柄で蚊が大量にまとわりついてきたので、この場は撤退。 最後にコンクリート橋なのに名前が「土橋」。 ツッコミが入りそうな名前だが、以前は本当に土橋だったのかも知れない。 近くには御殿の名残を残す「御殿橋」も架かっている。 [0回]
牛久保城(愛知県豊川市) 牛久保城所在地 三河国牛久保は後に上州伊勢崎に藩を開いた稲垣若狭守長茂(埼玉県の資料では長重って書かれる事が多いような)の生まれ故郷で、埼玉県旧江南町の須賀広に領地と陣屋を持っていた事にちなんで探訪した。 牛久保城に程近いJR牛久保駅に来た、駅舎は一昔前の作りのようで鉄道ファンにはこういうのが好まれるのかもしれない。 夏休みの早朝ゆえか誰も居なかったのが印象的だった。 ここに来るまで忘れていたが、ここは甲斐武田氏に仕えた山本勘助の生まれ故郷であった。 数年前に大河ドラマの主人公になっただけに、当時は多くの人がきた・・・かも知れない。 では牛久保城へ向かう。 牛久保駅を出て右に線路沿いに歩いていくと踏切があり、その踏切を渡ると牛久保城。 うーん、徒歩数分の立地条件なので訪問のしやすさは良いかも知れないが・・・遺構の保存状態は良くなさそうだ。 線路と病院に挟まれた緑地に牛久保城を示す碑が建てられている。 遺構を示すような物はこれぐらいのようで、その殆どが市街地になって喪失しているようだ。 来たついでだったので、山本勘助の墓へお参りしてきた。 牛久保城から程近い長谷寺(ちょうこくじ)の境内にあり、道路にも表示されているので歩いていれば行き易い。 そんな近距離なのに車で移動したために、今回は駐車場が時間が早くて開いてなくて、車を停める場所に困った。 結局近くのコンビニに朝食を買いがてら、車を停めさせてもらったのだった。 [0回]
群馬の博物館巡りの旅 「城逢人」の史進さんの情報を元に群馬県の博物館三ヶ所を巡ってきた。 事もあろうかどこも今日までの企画展だったようで、仕事でへばった身体に鞭を打って出動した。 まずは群馬県立博物館を訪ねたが・・・ここが一番面白くなかったかも。 内容が薄い上に一番不満なのが入館料が600円と割高。 せっかく行ったからと入ったが、もう中に入る事は無さそうだ。 ・・・でも山崎一先生の本は欲しかったかも。 次は新田荘歴史資料館へ。 ここは200円の入館料で内容もそこそこ充実していてかなり満足。 資料館の前には新田神社に戦勝祈願する新田義貞公像があったので、写真撮りまくり。 いつか武将銅像シリーズってコーナーを開きたくなってくる。 そして最後に太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設へ。 行政お得意の箱物のような所だが、内容はそこそこ良かった。 展示されているフィギュアが精巧に作られていたのでマジマジと見入る。 あと金山城の映画(案内動画?)もなかなか良かった。 んで肝心の企画展は金山城の発掘が主な内容であった。 折角数年ぶりに金山城近くまで来たので、金山城を訪ねる。 過去に行ったのは上州名物からっ風の吹く冬場ばかりだったので、印象がかなり違った。 当時は石垣に目を奪われていたが、今回は土木遺構中心に見入る。 特に囮曲輪の先にある写真の大堀切がとっても良かった。 あと金山城の南方は見渡す限り関東平野が広がっているので、中世城郭に居ながらにして地球が丸い事を実感できた。 それを見ながら風に吹かれて昼寝させてもらった。 うっかり日没近くまで寝てしまったので、日没までに周辺の中世城館を拝見させてもらった。 今回は四件訪れたが、その殆どは宅地及び耕地になっており、遺構の保存状態は悪い。 でも・・・富田館の土塁はちょっと感動した。 やっぱり上州の城はいい、寒い季節に訪れてまったりと乏しい遺構を見て楽しみたい所だ。 [2回]
姫小川城(愛知県安城市) 姫小川城は埼玉県旧菖蒲町に陣屋を構えた内藤氏が居住していたとされる。 現在、その所在地は不明とされているのだが・・・どんな物か見に行ってみた。 最初姫小川古墳に行ってみた。 ここは流石に古墳だけの様で、城館跡に関する情報がまったくなかった。 となると・・・次は寺だな。 内藤氏が菩提寺としていた誓願寺。 ここならなんかしらの情報が得られそうな感じがする。 この誓願寺の前に水堀にも見えるような地形があるのだが・・・ 単なる池と言えば池なのだが・・・ 誓願寺の縁起について書かれている案内を見つけた。 文中の中盤あたりに内藤氏に関する記述が見受けられ、この辺りで内藤氏の居館があった事を示している。 境内の墓地には内藤重清の墓があった。 五輪塔のその墓は実に小さく、奥にある碑の方が墓かと思ってしまった程である。 はっきりと館跡は見つからなかったが、これだけ内藤氏に関する事に触れられれば上出来かと。 って事で次なる場所へむかった。 [1回]