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桜井城(愛知県安城市)



桜井城所在地

次に訪れたのは安城市桜井にある桜井城。
ここは松平氏の一族である桜井松平氏の居城があった場所で、家康が関東に移封されたときに松平家広が武州松山城1万石で入城している。

っても先ほど土砂降りの雨に打たれて、かなり滅入ってしまっているのだが、折角の愛知県なので行かねばならない。
人気のない所に車を停めて、持ってきた着替えに取り替えた。
失敗したのは靴の替えが無かった事だ。まぁ歩いている内に乾くであろう。

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県道44号岡崎西尾線の通りに城山公園がある。
岡崎と西尾を結ぶ主要県道だけに結構通りが多い。
残念な事にこの公園駐車場が見当たらなかったので、速攻で戻る覚悟で近くの路地に駐車させてもらった。

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公園は周囲に比べて微高地(造成?)なだけで、城館跡と思わせる遺構は見つからなかった。
入口には木戸(城戸)をモチーフにしたゲートがある。

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櫓台にも思える一段高まった部分があり、そこには桜井城を示す石碑が配置されている。

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ちゃんと解説板付きという親切さ。
遺構が無くてもこの位のサービスがあっただけで、かなり嬉しくなる。
そして一番最後の所には・・・武州松山城の文字が!!
・・・こんな遠方の地で我らが埼玉の城郭の名が見られるのは・・・とっても感動するのですが。
それにしてもこの城の規模から武州松山城ではかなりの大出世したように思えたりも。

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なお、先ほどの櫓台の近くには桜井松平氏の物と思われる墓所がある。
ついでに手を合わせて先ほど与えてもらった感動を感謝するのであった。


よーし!!この城でテンションは回復した!
次の城に行くとしよう。

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緒川城(愛知県知多郡東浦町)


緒川城所在地

徳川家康の生母於大の方の出生地と言われる場所で、水野氏に馴染みの深い場所である。
埼玉県内にも水野氏に関わる城館跡が二ヶ所あるので、ちょっと遠いが訪ねてみた。

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勢い余って城は高い所という認識から於大公園に来た。
でも公園内に設置された地図を見ると・・・町役場より北西の方角だと判明。
ここから歩くのはちょっと遠いので、資料を集める傍ら図書館に停めさせて戴く事にした。

幸い(?)東浦町の図書館は職員さんがコピーを取ってくれる所だったので、待ち時間を利用して緒川城へ。

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コピーを依頼して外に出ると・・・雨降ってきてた。
折角愛知まで遠征に来ているのだから時間が惜しい。
ので持参した折りたたみ傘を差して緒川城の方向へ向かう。

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ここまで歩いて来るまでには足がズブ濡れ状態に・・・。
この緒川城に近づいた途端の大雨、これは何かあるのか??
一応現場を記念撮影してみたら、フラッシュに水滴が反射する。

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豪雨の中グルッと町内を一回りした所で、非常に目立つ丘がある。
ふむ、これは調べない手はないと思い、その現場に近づく事に。

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そこは公園になっており、緒川城の城内であった。
では一番高い所へいける所まで行ってみよう。

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そこには緒川城の石碑と解説板がおいてあった。
後の土盛りは物見台か?
でもここまで来れたのでちょっと安心。

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解説板にはご丁寧にも縄張り図付きであった。
ここはかろうじて残された土塁であったようだ。
って事は先ほどの公園こそ本当の本曲輪だったのだな。

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土塁から降りて本曲輪より土塁を見る。
こう見ると唯一のこされた土塁はよい高さがあるのが分かった。
流石に下半身が川に落ちたように濡れているので、この度は撤収する事に。

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図書館に帰る途中、排水溝から雨水が噴出しているのを見てしまった。
うーん、ここまで排水処理が付いていけない程降ってるとは・・・

かくして無事図書館に戻り資料をいただき、次なる目的地に行くべく車を安城方面へ走らせた。
ちなみに今回の遠征で唯一の尾張国の城館跡であった。

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上和田砦(愛知県岡崎市)


上和田砦所在地

大久保忠隣にゆかりのある上和田の砦を訪れた。
忠隣は徳川家康が関東に移封された時、埼玉県羽生市にある羽生城主となったが、本人は入らずに城代が置かれたようである。
でもこの遠征の後、当サイトとリンクされている「城郭写真記録」様を拝見したらだいぶ見落としがある事に気付き、結構ガッカリ。

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それを知らずに愛知県岡崎市上和田町の浄珠院を訪れた。
山門の前に小堂が建てられており、もやは山門が飾りに見えてしまったりするのだが・・・。
ちょっとネット検索で来たので外れている可能性大。

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境内の案内板によればこの地を本陣に家康が一向一揆討伐の指揮をしたのだとか。
そういった意味で中世期の陣城ではあるが・・・大久保忠隣のゆかりの地とはちょっと違うようだ。

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本堂の付近には徳川氏の「徳川葵」の紋がいくつか施されており、徳川氏にゆかりの寺であった事を伝えているようだ。
最初っからハズレで今回の遠征・・・先が思いやられる。

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次なる目的地へ向かおうとし、交差点で信号待ちをしていたら・・・
なに!?城前???
ここが城前だとしたら・・・・この周辺に城があるはずだ。
って事で予定変更で、周辺の捜索に移行する。

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そんでちょっと歩いて探してみたが、狭い路地に民家が建ち並んでいる光景のみ。
いや、この道の形状がいかにも昔からの形を漂わせているので、それらしさは感じるが城館跡に結びつく遺構は発見できず。

かくしてここが消化不良気味だったので後ほど調べ直してみてハズレばかりであった事を知ったのだった。

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岡崎城(愛知県岡崎市)

先月、愛知県の城館跡を訪ねて回った。
テーマは「埼玉にゆかりのある武士の城館を訪ねる」というもの。
事前にネットなどで調べて行ってみると・・・遺構は乏しいところが多いのだが石碑が多い事。
そういった意味で愛知県は羨ましいと思ったりも。


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早朝、夜行バスで名古屋に降り立った。
天気はあいにくの曇り空で、今にも雨が降りそうな天気だった。
それで名古屋に来て驚いたのは関東のICカードがいつの間にか名古屋の鉄道でも使えるようになった事だ。
そんな事で6時頃の電車に乗って、目指す場所は岡崎市。
何気に今回のテーマだと徳川家康の家臣が多いので、必然的に岡崎・西尾周辺になってしまうのである。
現地についたらレンタカーを借りようと予約入れてあるのだが、レンタカー屋が開くのが午前八時。
待っているのがもどかしいので、いっそ岡崎城でも見に行く事にした。

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ここで誤算が一つ、当初岡崎城に行く予定がなかったのでJR岡崎駅に行ってしまったのだが、
実は岡崎城は愛知環状鉄道の中岡崎駅か名鉄の岡崎公園駅が最寄駅であった。
普通ナチュラルな岡崎が中心地ってイメージあるから、真っ先に行ってしまったのだった。
一時間に4本程度の愛知環状鉄道に乗り換えて、中岡崎駅をおりてしばらく進むと、ようやく岡崎城の案内標識がでてきた。

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国道248号の地下道を抜け、住宅地を抜けてようやく岡崎城の西を流れる伊賀川へ着いた。
この城もよくある川の合流地点を自然の要害として築かれており、この伊賀川と南の乙川で天然の要害となっている。

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かくして城内に侵入。
やはり石垣って迫力がある。
普段は撮影できない石垣をじっくりとカメラに収めてみた。

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ようやく岡崎城の天守にご対面。
・・・確かに松の木が撮影を妨げてる。
天守は早朝という事もあって中に入れない。

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こういう近世城郭は見た目が迫力があるので見ごたえはある。
見ごたえはあるのだが・・・遺構の乏しい中世城館に比べて興味がそそられない。
やはり観光地なのだなっと思ってしまったのであった。

かくして時間になったのでレンタカー屋へ向かい、二日間お世話になる車に乗って本来の第一訪問地へ向かったのだった。

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平本氏屋敷(埼玉県吉川市)


平本氏屋敷所在地

慶長年中、関東郡代の伊奈忠治に仕える事になった下総国浪人平本主膳定久が、三輪野江地区を開発して住んだ屋敷とされている。
その出自は松戸市の小金城主高城氏の一族であったが、天正十八年の小田原の役で浪人する事になったようである。

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平本氏の屋敷と伝えられる場所は現在も人がお住まいのご様子。
ただ平本さんかどうかは未確認。
屋敷林があるあたり、いよいよ屋敷跡という実感が沸いてくる。

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その屋敷林の真横には堀らしき溝が伸びている。
うーん、明確でないにしてもこういう地形を見るだけでワクワクする。

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写真じゃ分かり辛いが、垣根と同じ高さぐらいの土盛りがある。
これが土塁だったりすると興奮度が高まってしまうかも。

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一部水田となっているようだが・・・屋敷の規模が少々小さいのは江戸期の屋敷だからだろう。


ちなみにこの辺りの加藤・飯島などは江戸初期の開発者の姓であり、その功績によって村名になったようである。
なので探し方次第ではもっと屋敷があったのかも知れないが、今のところはここまで。
また近い内に吉川市も再訪問せねば。

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