長井坂城 (群馬県赤城村・昭和村) 深山の五郎屋敷の意味不明の遺構を見た後は、ついに名前は聞いていたけど行った事がなかった長井坂城へ向かった。 近くまで行くと長井坂城への案内があった。 さすが県指定史跡だけの事はある。 っと案内があったのを見て油断していたら・・・ ゆるい傾斜の畑をグルグルと周ってしまったのだった。 あれ?案内通りに進んだ筈なのだが・・・ (実は途中で別の案内を見て移動していたようである) これはいかんと地図を見直し、ようやくそれらしい森を発見した。 この雰囲気は城館があると予想させる。 それにしても見晴らしが良い。 沼田方面が一望でき、麓を流れる利根川や国道17号線を一目で見る事ができる。 では早速遺構を見に行こう。 久々の有名城郭の遺構。 こじんまりとした遺構も好きだが、たまにはこういう巨大城郭を見るのも目の保養になる。 竪堀(?)をコッソリ覗いてみる。 急角度な上にとても崩れやすそうな感じ。 この地形ならもはや竪堀は必要ないな。 崖っぷちである本曲輪は崩落が進んでいるようで、本来の柵よりさらに内側に新たな柵が設けられていた。 落差が軽く100m以上あるここで落ちたら、まず無事では済まない。 それはそうと下はどうなっているのか気になる・・・道路があったような。 他サイトでよく見ていた長井坂城の石碑は本曲輪ではなく三の曲輪付近にあった。 しかも、時間帯が悪かったようで思い切り逆光で撮影してみた。 この城は朝の時間帯の訪問はよろしくないようだ。 城の遺構もそうだが、それと同じように期待していたのがこの関越道の橋。 ダムなどもそうだが、こういった巨大建造物は何故かそそられる事が多い。 さっそくこの橋も堪能する事に。 橋を真下から見上げてみた。 丁度橋脚の耐震工事中らしく、特殊なゴンドラに乗った作業員の皆様がセワセワとお仕事に励んでおいでであった。 このゴンドラって上下に稼動するのかちょっと気になる所だ。 それにしてもあまりの巨大さにしばらく見とれていた。 この橋が実は二車線道路なのだから個人的にその大きさに驚く。 では・・・お楽しみの長井坂城とこの関越道のツーショットを取るべく対岸の台地を登っていく。 長井坂城に吸い込まれる関越自動車道の絵。 ・・・ちょっと冴えないな。 地図を見ながら結構いい図になると期待してしまっていたのだが。 っという訳で長井坂城の探訪を終え、次に探訪する城を考えるのであった。 [0回]PR
五郎屋敷 (群馬県渋川市) そういえばちょっと有名な長井坂城を見たことが無かったので、見に行くかと思案。 その長井坂城への道中の城を調べてみたら、五郎屋敷なる場所があるという。 ちょっとした寄り道をする為、旧赤城村深山(みやま)へ向かった。 地名の通り赤城山西麓、沼尾川の上流の山深い所に集落はある。 五郎屋敷なる場所は地名として残されているようであるが、実際はどうなのであろうか? 暗い・・・。 林道沿いの道は深い森に覆われており、まず日の差すことが無さそうにさえ思える。 それはそうと車を停めない事には調査は始まらない。 周辺を車にて走ってみると・・・ 森を切り開いた上水道設備があった。 この辺りの道なら結構広いので停めても大丈夫そうだな。 かくして五郎屋敷があったと思われる場所へ向かった。 それにしても本当に暗い林道である。 持ち主であった五郎某は落武者であったのだろうなっと想像できる。 っとこの辺りが五郎屋敷らしいのだが・・・ お?堀か? っと思ったら水のない沢だったようである。 でもここが五郎屋敷の末端らしいので、既に到着したようだ。 うーん、言われてみれば平地になっているようなって感じである。 恐らくただ通っただけでは、ここが屋敷跡とは思えない程地形的には傾斜である。 こんな感じで寄り道は終了した。 そういえば道端に1円玉2枚落ちていたが・・・交番に届けた方がよかったのだろうか? [0回]
津久田の砦 (群馬県渋川市) 先の津久田城は遺構があまり残されて居なかった。 ではその烽火台として利用されていたという津久田の砦へ足を運ぶ事となった。 麓から撮影する津久田の砦。 朝日が後光となっている為か、妙に神々しく見えてしまう。 これだけ見るとかなり標高もありそうだが、ここは崖城なので城の背後へ車にて移動する。 関越自動車道の上を跨ぐ中原橋。 その向こうの森の中に目指す津久田の砦がある・・・らしい。 ここからは久々の藪との戦い。 実を言うと間違って北隣の尾根を行ったが何も無かった。 間違いと気づいたのは道路の位置関係と地図の地形の違いである。 結論を言えばこの入口が一番の難関であろうか。 写真中央付近の藪を掻き分けて、内部に侵入すると・・・ 伐採した木を下ろす修羅みたいな溝道が現れる。 この道をそのまま下るだけで、城の端までたどり着く事ができる。 にしても10月になったが、未だに蜘蛛の巣が多い。 写真じゃ全然分からないが、通ってきた道は北側に急なカーブを描いて下っていく。 そのえぐり方がちょっと深いので、これも堀跡なんじゃっと思えるほど。 きた、かなり浅くなっているが、堀切(中央)と土塁(右上)だ。 尾根の先端を使っている関係で、どうしても先端の方が低くなってしまう。 それを補う為の土塁なのだと地形を見て分かる。 本曲輪に入り、土塁を振り返る。 確かにこちらの曲輪の方が低い。 周辺の物色してみると・・・ 木製の碑が建てられていた。 平成八年に建てた様だが、十四年の年月が経過しても実に真新しい。 その側面に書かれた解説は以下の通りである。 「俗に城山(ジョウヤマ)と呼ぶ 山頂に東西十米 南北七米程の平地で 三方が低い土居で囲んであり 昔の津久田城の烽火台に使用されていた。」 との事である。 しかし、この碑を見た人はどの位いるんだろうか? 城山によく配置されている石祠もあった。 ここへ来るまでの道を思うと、いまやこの石祠も忘れ去られてしまっているのであろうな。 なお、この先は地形が急落しており、堀切を作る必要性がないようだ。 木々に覆われて視野が無かったが、位置的な物を考慮すると利根川の対岸を含めてかなり見渡せた事だろう。 かくして津久田の砦の探訪は終わったが、誤ったルートからここに来た時に渡った竪堀があった。 見た目はかなり狭そうだが、向かい側が落ち葉で覆われていた事もあって飛び越える事は断念した。 しかし、現代の竪堀で本当に遠巻きに来る敵兵を防ぐ成果があるのだなっとこれに遭遇して思った。 [0回]
津久田城 群馬県渋川市 本日は妙に群馬の城館跡が見たくなったので、利根川沿いの旧赤城村へ足を運んだのだった。 やっぱりこっちの方は景色が良くていい。 夜明け前に家を出て、寄り道しながら走ってきたので渋川市に到着したのが午前6時半。 国道17号線を進み、子持山麓の伊熊交差点を曲がり利根川を渡る。 最初に目指す城は津久田城である。 なんとなく晴れているので天候は持ちそうである。 地図を片手に津久田城周辺を回るも・・・遺構がほぼない。 駐車場も無いので赤城北中学校の付近に車を停めて歩いてみる事に。 一応津久田城の城内なのだが・・・農地と宅地で遺構はほぼ消滅状態になっていた。 渋川市のホームページにも載っている城館跡なのだが・・・ 残されているとすれば北の崖に向かって伸びるこの道ぐらいか。 城が機能していた頃は恐らく竪堀として利用していたのかも知れない。 畑になった二の曲輪跡。 ちなみに本曲輪は本格的な新興住宅地に成り果てて・・・ので写真はなし。 っと周っていたら解説板らしき物を発見!! だが・・・その場所は・・・ ・・・余りにも遠くてまったく読めない。 しかもあの解説板へ至る道すらもまったくない。 農作物を踏み荒らす事になるので、解説板を目の前にして無念の撤退となった。 そうだ、是非渋川市のホームページに撮影されている津久田城の遠景を自分も撮影したい。 そんな事で北の沼尾川を渡り、北側へ。 何枚か撮影して、ようやく現在の津久田城の遠景を撮影する事に成功。 中央の台地部分が津久田城である。 やはり遠景写真を撮る事は、城館探訪の楽しみの一つである。 [2回]
久々の城館まがい地めぐり 今日は天気が良さそうだったので、有休をいただいて城館まがい地めぐりをしてきた。 数ヶ月ぶりになってしまったが、一応城館に関わる名前の所一ヶ所、伝承地二ヵ所という所。 最初の訪問地にて地元の方と話し込んでしまい、結構時間ロスする。 でも「歴史の話を聞かせてもらったから」と畑の栗を頂いてきた。 結構いい栗なので、後で食べるのが楽しみだ。 その後そんなに時間もなかったので、ふらっと車で周って今回はおしまい。 それにしても足腰が弱くなった、もうちょっと筋肉つけないといかんな。 [0回]