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●花城寺館 (群馬県群馬町)

元井出館から程近い所に花城寺(けじょうじ)館がある。

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途中の畑にポツポツと花が咲いていたので、ちょっと寄り道して撮影。
こういう時に花の名前に詳しいと楽しいのであろうが、残念ながら花の名すら分からず。
まさに花の城への道のりの始まりである。

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それからしばらく回りを歩いてみたが・・・全然嵯峨谷なる谷地が見つからない。
後に『群馬町誌 通史編 上(以後町誌)』を見たら、平成三年から土地改良事業が予定され、平成八年に調査を開始したとある事から、もう改良工事後の地形なのであろう。
それにしても嵯峨谷とやらが見つからなくて残念。

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西側は井野川が自然堤防を築いており、結構な高さがある。
西にこの比高差、東に嵯峨谷に囲まれたこの花城寺館は理想的な地形であったのが分かる。

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しばらく嵯峨谷を探していたら・・・なにやら異様な雰囲気のする場所に。
これは公園?

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そうそう、同道館を訪ねた時に見えた、あの古墳だ。
どうやら名を二子山古墳というらしい。
埼玉県民であるとどうしても埼玉古墳群にある二子山古墳を思い出されてしまうのである。
折角来たのだからここにも寄り道していくとする。

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古墳は実になだらかで、それほど急な斜面ではない。
この周辺においては一番高いので、見晴らしは良い。

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それでこれが古墳の模型。
鍵穴の様な形状をした古墳本体を囲む様に円があり、さらにその外を濠が囲っているのがなんとも特徴的である。

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現地の解説板は実に丁寧に作られており、公園化される前の二子山古墳の上空写真も載せていた。
・・・その前に本来の目的である花城寺館は何処に???

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後でその場所を推定してみたが、ここが嵯峨谷の跡のような。
確かに小河が中を流れているのだが、これが消滅前の嵯峨谷の形をなぞっているように見える。
って事は花城寺館は消滅??

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頼りにしていた嵯峨谷は土地改良事業により埋没し、道の形状も以前書かれた図面とは違う。
そんな訳で結局館の跡地は何処だか分からなかった。
まあ、それでも古墳の上でじっくりと周辺の風景を堪能できたから、それで良しとするか。
かくして二子山古墳を後にして、次なる城館跡へ進むのであった。


つづく

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●元井出館

同道館(同道遺跡とも)から少し西にあるのが元井出館。
しかし、その場所は・・・

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既に老人福祉施設が建ってしまっていて、当時の名残を残さない形となってしまっている。
「群馬町誌 通史編上 原始・古代・中世・近世(以後町誌)」に掲載されている航空写真ではまだ水田地帯になっていたのに。

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良く地図をみれば道の形状も北に湾曲していたのだが、現在では老人福祉施設に沿って直線になっている。
その影響もあってか、遺構の西から南を流れる井野川の橋は大型車が走れそうなほど立派になっている。
遺構の名残こそ無いが、この橋こそ遺構の傍らに架かっていた生き証人(世代が変わっているが)の様にも。

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川では水鳥(おそらくカモ)がイマイチな天気の中すいすいと泳いでいるので、ついでに撮影。
城館遺構の代わりに眺め、和ませてもらった。

町誌には館跡は南北40m、東西31mの規模だと記されているので、比較的コンパクトな館であったようだ。
主に出土品から十六世紀頃が主体とされており、江戸期には「シンデン(新田?)」の名が付いたように水田と化していたようである。

何気ない館跡ではあったが、町誌はこの辺りの遺構を少しだけ解説しているのでちょっと助かった。
にしても航空写真の嵯峨谷の存在が見えなかったのだが・・・ちょっと不安を抱えつつ次なる城館跡へ向かった。



続く

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●同道館 (群馬県群馬町)

いままで似たような風景を醸し出していた新幹線沿線に別れを告げ、次なる城館跡を目指す。
井出東館から離れ、井出の交差点を過ぎて直ぐに高崎北高校がある。
次に目指す同道館はこの高校敷地だという。

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我が地図だとこの辺りは城館密集地帯なので、非常に圧迫感がありそうな場所だとおもっていたのだが・・・
思った以上に空が広く感じられる。
まあ、ちっと曇り空なのでイマイチな状況だが、方角的に晴れていれば榛名山が目の前にそびえ立っているのだろう。

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…と同時に気になる丘を発見。
うーん、あれは形状からして古墳のようだが。
まあ、時間があったら立ち寄ってみよう。

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してここが高崎北高校裏門付近。
平日(7月1日)で学校がやる日だとおもうが、こちらはどうやら開かずの門のようだ。
ちっと広い道なので、少々車を停めさせていただく事に。
にしてもいい段々畑ならぬ水田だ。

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実はこちらの資料によれば、ここも遺構のあった場所だったりするのだが。
少し歩いてそれらしい地形を探してみる事に。

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怪しく見えてしまうのはここか。
地図を見てみると「嵯峨谷」の延長上にここの地形があるし。

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単なる水田、単なる水田と思いたいのだが・・・段々この茂みが土塁に見えてしまう。
確かにこの茂みの向こうは地形が落ちているので城郭としての特性も備えている。
ああ、段々生活城館病(なんでも城の遺構に見える病気の個人的に呼んでいる名称)になってしまったのか。

って事で遺構の場所は高崎北高校グランドから写真の場所を示しているのだが、
ここまで地形がいじられてしまっていると、なんとなく想像でしか思い浮かべる事しかできない。
んな訳で次は今までの遺構に比べて大物(?)に向かうものとする。


つづく

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●井出東館 (群馬県群馬町)

明確な遺構の残らない中世城館跡の旅はまだ続く。
今度もまた上越新幹線沿いに発見されている井出東館である。

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先の三ツ寺環濠遺構群と似たような写真しか取れない。
もちろん同じ場所ではなく、先の遺構より南に移動している。
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新幹線の東側に眼を向けてみる。
なんとなく道路の方が畑に比べて低いようにも感じられるが、特に変化はない。

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この畑のどこかに遺構がありそうな雰囲気があるのだが・・・無さそうという印象も。
もっともここも新幹線の建設によって発見されたと思われるので、
遺構は乏しくて当然とも。

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目印としてはこの「高崎市井出集会所」付近である。
この集会所の西がちょっと怪しかったが、明らかに屋敷の竹林だったので行くのを止めた。


想像はしていたが、素晴らしい程に遺構が無い。
でもこういう無いと思われる所から意外な発見があったりもするから侮れない。
そんな訳で次なる城館跡にむかうのであった。


つづく

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●三ツ寺環濠遺構群 (群馬県群馬町)


今度の遺構はまたも新幹線建設で発見された遺構である。
その名も「三ツ寺環濠遺構群」、実はこの手の環濠遺構を見るのは初めてだったりも。
さあ、いざ(多分喪失している)遺構へ。

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まずは遠景。
・・・完全に水田でありますな。
遠くには上越新幹線の高架線が見える。

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ここも遺構とされているようだが・・・ただの畑にしか見えない。
では核心である新幹線高架下へ移動してみよう。

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高架脇の道路に来た。
どうやらこの先の少し盛り上がった所が遺構の発掘されたところらしいのだが・・・

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うーん、ステキな程に手掛かりすら残されておらぬ。
これだけ何も無いと他の城郭探訪されてる方はテンション下がりまくりだろう。
近くの集落付近も怪しいと思ったが、今回はパス。

今回は城の遺構を堪能するより、榛名山の山裾の雰囲気を堪能しているのでテンションは下がらず。
これからどんな感じで勾配が付いてくるのか?城の遺構は変化していくのか?
天気は少々曇っているが、日差しが強いよりかはかなり楽だったりも。

かくして次なる(恐らく遺構がない)遺構へ向かうのであった。


つづく

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