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下野国田園城館探訪ツアー その3


段々探訪していく内に熱くなってきた野木町の城館跡。
いよいよこの野木町の真打とも言うべき法音寺城を訪ねる事に。


●法音寺城(栃木県下都賀郡野木町)
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資料を見るとここが野木町で最も遺構を残す所であるようだ。
野木町役場の前を通過し、再び国道4号線沿いへ。
国道に面したところには法音寺の立派な山門がある。


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交差点を入り北側より寺の背後(西)にある城へと向かう。
時間はまだ朝の6時台だが、線香の香りが墓地より立ち込めていた。
墓参用の駐車場に停めるのも気が引けたので、公道のそんなに邪魔じゃない所へ車を停める。
何気にこの道は地元の方の抜け道らしく、たびたび車が走り抜けていた。
恐らく遺構は写真中央の石版の裏へ行くのだろう。

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するとフェンス越しだが、堀を発見。
おお、これはかなり大きい!先の針谷屋敷の堀位の規模を想像していただけにビックリ。

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何気に土塁もなかなかの大きさがあっていい。
ちなみにこの土塁の外側(東)には堀があるが、藪で撮影できなかった。

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ゲートボール場らしき広場にお邪魔させていただき、再び堀を撮影。
この感じ・・・いいなあ。

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何気に思川側にも堀があった。
こっそり藪に首を突っ込めば、そこにはひょっこり堀が・・・

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改めて思川にかかる友沼橋の上から法音寺城を撮影。
ステキな遺構を拝見させていただき、ご馳走様でした。

そんな事でここも結構な当たりで、テンションも高くなってきた。
まだまだ時間も早い、次なる城館遺構を目指して先に進むのであった。


つづく

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下野国田園城館探訪ツアー その2


遺構は乏しかったが、野木城はそれなりに満足した。
次は館跡という事で向かったのは、南赤塚の森林地帯にある針谷屋敷である。

●針谷屋敷(栃木県下都賀郡野木町)
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野木城から東に進路を向けて進む。
地図だと特に何も書いてないのだが、実は森が多い所だった。
鎌倉街道跡である公道を越えて、ついにその目的地が近づいてきた。
今モヤがかかっているので、朝日が少々ボケた感じに見える。

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目印はこの根渡神社であろう。
南側の古道よりこの神社まで参道が走っており、
目指す遺構はこの参道の途中にあるようだ。

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参道から根渡神社を振り返るとこんな感じ。
結構森が深くて周辺は早朝という事もあって薄暗い。
参道の傍らを見てみると・・・

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全然分かりづらいけどあった。
結構埋もれているようだが、確かに堀跡が野木町史に書かれている通り延びているようだ。

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屋敷の周りを囲む堀まで、森の中をちょっと通過する。
しっかりと遺構が残されていて素晴らしい。

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ご覧の通り浅いながらもしっかりと堀が残されているのは嬉しい。
近くを新幹線が通っているが、森の中ゆえか騒音も特になく静か。


結構今回の城館探訪はなかなかいいところが多い。
この遺構が乏しく残されているっていうのが個人的にそそられるのである。
そんな事で城館探訪のついでに車を停めさせてもらった根渡神社を後にして、
次なる目的地へ向かうのであった。


つづく

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下野国田園城館探訪ツアー その1

下野国。
今の栃木県で、実を言えば足利~佐野にかけての地域ぐらいしか城館探訪をしていない場所である。
手元に野木町、小山市などの城館資料を手にしていながら、いつ行こうか迷っていた。

GW明けの5月6日、ついに意を決して探訪する事に決めた。
資料に目を通し、探訪順路を考える時間もまた楽しいひと時だったりする。
探訪スタートは夜明けで外が明るくなる時間なので、おおよそ朝の5時。
その時間に着ける様に家を出て、夜明け前の道を栃木県へ向けて走った。


●野木城(栃木県下都賀郡野木町)
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やや朝もやのかかる野木城へ訪れた。
国道4号線沿いで思川の支流によって谷の刻まれた場所で、
東側以外は湿地に囲まれているという要害に適切な絶好の地形である。

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城の周囲を遊歩道が整備されており、歩きやすくなっている。
流石に平日の朝の5時だけあって、歩いている人は居なかった。

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歩けどこの上の曲輪部分に行く気配がなかった。
本当に周りを歩くだけになっているようなので、この内部へ登ってみたら・・・

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清清しいまでの耕地だった。
まあ、笹藪に覆われているよりははるかに良い。

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南側を歩いていたら、ようやく城である事を示す案内板があった。
流石に歴史的経緯がよく分からない城だけに、解説板の文面もとってもシンプル。

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そのまま東に進んだら、道路脇にも城の入口を示す看板があった。
「城=天主」を想像する人にとってこの城はどんな風に映るのだろう?
きっと「行ったけど畑しかなかった」って感想になるのかなっと思ったり。

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何気に道路の脇が少々高まっているのだが、土塁の名残であろうか?
もしそうだとしたら、きっとこの道路は堀になっていたのだろう。
この先の畑になっている部分にも、堀が埋没している可能性は高い。


何も無いと言えば何も無い野木城。
でもこういう城は個人的に嫌いではない。
むしろ想像を膨らませられる良い城であるとさえ思えてしまう。

かくして野木城を後にし、次の城館跡に向かうのであった。


つづく

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我が車、城館初陣編 その5


時間は既に午後五時過ぎ、日は傾き城館探訪終了を促しているようである。
暗くて写真が写らなくなるまでが我が探訪時間とばかりに最後の一ヶ所へ。

●杉山城(埼玉県比企郡嵐山町)
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やはり最近国指定遺跡に指定された杉山城も見ておかねば。
ここも数年ぶりになってしまったので、目の保養をさせてもらう事に。
玉ノ岡中学校西まで車で登り、そこからの再訪である。

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んん~!!この土の凹凸が萌えさせてくれる。
日没まで時間がないが、そそくさと回る。
途中で犬を連れて城内をマラソンされている方に出会った以外は人に会わず。

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以前はここに木橋を伐採した竹で表現していたが、危ないので取り外したようだ。
下手に遺構をいじられてしっかりとした木橋をかけられるより、この方がいいのかも知れない。

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そして本曲輪へいきなり移動。
今の写真と今から七年程前の発掘調査時の写真を並べてみた。
こう見るとすっかり埋め戻されているなっと感じる。

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ついでに2003年3月に行われた発掘調査説明会の模様をアップしてみる。
左がその時に置かれていた杉山城の立体模型。
右は虎口の横矢の仕組みを鎧を着た人々を使って説明している所。
まだ今ほど遺構の乏しい場所に興味が無かっただけに楽しめていたような。


つい思い出話になってしまったが、この杉山城は埼玉県が誇る中世城郭と言っても過言ではない。
もし今後中世の城館跡に興味を持つ人が居たら、ここの様に説明もしっかりしている場所から入るのが一番なのだろう。

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我が車の初陣はこうして幕を閉じた。
杉山城から鎌倉街道を鎌倉方面に向けてみると、数百年もの間この街道を見届けていたかと感慨にふけてしまう。
こうして目の保養をした所で、次の城館跡の調査に胸を膨らませる儀一であった。


おわり

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我が車、城館初陣編 その4


青鳥城を後にして、車は更に西へ。
比企郡を代表する二つの城、「菅谷城」と「杉山城」の二つがあるが・・・どちらにしようか少々迷った。
っと考えている内に畠山重忠公像の顔が浮かんだので、菅谷城に決定。

●菅谷城(埼玉県比企郡嵐山町)
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夕暮れ時になり、国道を走る車が少々多くなったような気がしながら、菅谷城へ到着。
なお、現地の案内板は「菅谷」と案内しているが、遺構の規模は明らかに城と呼ばれる規模がある。
これは鎌倉前期の館跡とは呼べないと思われるので、こちらではあえて菅谷として書く事にする。
(写真は今から7年前に撮影した物であったりする)

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ここも数年ぶりに訪れたが、いつの間にかこの様な案内図が設置されていた。
そういえば旧埼玉県歴史資料館もしばらく入ってないが、どうなった事だろう?
新しい刊行物はもう出ないという話を聞いたような気がしているが・・・。

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と良く見ると駐車場が17:15に封鎖の看板が・・・
時間を見ると16:55で、あと20分しか時間がない!!
これはもうあそこに行くしかない。

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もちろんご城主「畠山重忠公」の像である。
右が7年前の重忠公、そして左が現在の重忠公である。
特にお変わりないようで何より。

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ちょっと重忠公のご尊顔を撮影の被写体に。
この所この手の人物像をあらゆる角度から撮影するのがブームになっていたり。
あら?重忠公の烏帽子に鳥のフンが・・・。

DSCF0046.JPG DSCF0051.JPG
今回は遺構の撮影する時間が無くなってしまったので、これまた7年前に撮影した遺構の写真を。
やはり冬場の方が遺構が美しく見えてしまう。

そうこうやっている内に駐車場を閉めるアナウンスが流れたので、早々に退出をする。
車を移動させるだけでもよかったのだが、重忠公のお写真が撮れただけで今回は満足とする。
また今度のんびりと訪問したいものだ。


つづく

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