下野国田園城館探訪ツアー その7 番外編の様に渡良瀬遊水地へ寄り道した儀一は、再び小山市に戻ってきた。 次なる城はアジトである。 ●網戸城(栃木県小山市) かくしてJR間々田駅の北西にある網戸地区に来た。 読みはアミドではなくアジト、ある意味読めないと思える。 網戸城は網戸小学校のある所が本曲輪であるというが・・・ 地図と現地の形状がやや違うような? それにしても・・・何周しても小山市史の地図と一致する場所が見つからない。 そんな時は生の情報を入手するのが吉だ。 畑で作業をされている方に話しかけたら、思い切り30分以上も雑談してしまったのだった。 でも網戸城の事はご存知で、早速教えてもらった本曲輪の場所へ向かう。 ここが網戸城本曲輪であった網戸小学校跡地。 ちなみに小学校は戦後間も無く現在の場所へ移動したのだという。 あれ?「小山市史」は昭和55年発行なのだが、「現在は網戸小学校」となっている。 これは紛らわしいかも。 石碑があるが、今回は小学校の跡地を示す石碑である。 周辺が草が茂っていて近くにいけなかったが、小山市は結構立派な石碑を建てている事が多い。 そのまま網戸神社へ立ち寄る。 まだ5月のはずだがもう薮蚊がウヨウヨしている。 神社の境内には網戸城城主である網戸朝村の墓所がある。 その側にはそれを示す石版があり、これが当地を城を示す案内を担っていた。 少々迷ったりもしたが、思ったより楽しかった網戸城。 実は先ほどの聞き込みで網戸城の「西城」にお住まいの方が詳しいとの事であったが、 人見知りの激しい性分ゆえに訪ねて聞き込みする事ができなかった・・・。 思川の堤防上から再度網戸城を見渡し、次なる城館跡へ向かうのであった。 つづく [0回]PR
下野国田園城館探訪ツアー その6 小谷城を後にし、進路をそのまま西へ。 向かうは渡良瀬遊水地である。 そこには知る人ぞ知る中世城館があるのだった。 ●前原城(栃木県栃木市) つい最近まで下都賀郡藤岡町だったのだが・・・いつの間にか栃木市と合併していた。 前原城、別名大木田城ともいい、中沼右京大夫宗忠の築城と日本城郭大系に書かれている。 それにしても・・・「水没した城館跡」か・・・ 普通は興味が失せるはずなのだが、「消滅した」と書かれているとどれだけ本当に消えたのか確かめたい!! 途中の道を迷子になりながらもようやく土手の上に立った。 うーん、見事なまでに広い。 ちなみにここは渡良瀬川の支流である巴波(うずま)川の堤防内。 その巴波川を渡る。 何気にこの道は遊水地の管理道路かと思いきや、一般車両も割りと通る道だった。 確かに広い遊水地を横切っているから利用価値があるのだろう。 遊水地と巴波川を隔てる堤防の上に来た。 段々天気も晴れてきて、気分がいいので車の窓を開けてくつろぐ。 多少風が吹いていて、眠くなりそうだ。 そんなこちらの姿を通勤途中の人がチラチラ見ていたが、キニシナイ~ ・・・おっとっと、肝心の前原城を忘れるところだった! こちらが入手した情報によれば、前原城はどうやらあの茂みの中のようだ。 ってあの場所はヤバそうだ。下手にいくと湿地で足を取られかねない。 前原城の推定地を遠目に見るだけでこの場は終わりにした方が良いと判断する。 関東に湿地を利用した「ふけ城」というタイプの城があるが、 この前原城はまさに現代にあるふけ城なのかも知れない・・・。 でも、遊水地の景色は実に気分良く、心が癒されたのは事実。 城館にはいけなかったものの、気分的に満足してしまうのであった。 つづく [0回]
ずっとお仕事、休日は城館で癒し 先日アップした北本市の城館跡で、訪問してなかった大宮館へ。 もちろん遠望写真を撮るべく、荒川対岸より撮影。 それにしても空が広く感じられる。 他の地域も捨てがたいが、やはり埼玉が好きだ。 この辺りが大宮台地で一番標高が高いらしいのだが・・・ 土手の上から見てしまうとそうでもなくなってしまう。 「大宮台地で一番高いところにある大宮館」 ある意味分かり易いかも(笑 っと他にも数軒調査をしてきたが、それは後日の城館リストにて紹介する事に。 そういえば小山市の城館跡の報告がまだ終わっていなかったな・・・。 [0回]
下野国田園城館探訪ツアー その5 野木町史に掲載されていた城館跡4箇所を訪問し終え、いよいよ今回の探訪の大部分を占める小山市に突入する。 市の面積がやや広いため、車での城館探訪でなければ1日で回る事は難しそうだ。 早速今の所在地から最も近い小谷(こや)城へ赴く。 ●小谷城(栃木県小山市) 小山市の城館跡で最南に位置するのがこの小谷城。 恐らく名称も武士が寝泊りする「小屋」が転じて名づけられたと安易に分かる。 この辺りはかって思川が蛇行して流れていた場所だけに、その川の流れを利用した遺構が楽しめる。 早速歩いてみよう。 早速お出迎えしてくれたのは県道沿いにある石碑。 むむ、ここの様な城にもこれだけ立派な石碑が建っていようとは・・・。 埼玉県内だったらこの待遇は厳しいだろうと思う。 先の写真もそうだったが、水田地帯のこの辺りにしては写真奥の地形の高まりはかなりそそられる。 これだけ地形が高ければ多少の水害だったら飲み込まれる事もなかっただろう。 周辺の沼地などを考慮すると、かなり自然の地形を利用した・・・いわば「低コストで築かれた要害」であったと言える。 更に探索を進めると、城の中央付近に鎮座する神明社がある。 先の石碑の後にもそういえば神明社があったが、城を守り続けているのか。 その神明社の北にはかっての思川の河川跡を利用して作られた水田があった。 おそらく手前の砂利道も以前は沼地だった事を踏まえると結構な幅になる。 自然の地形ではあるが、こういう場所を見つけると嬉しくなる。 城の北東側に立って城の方面を望む。 T字路の先が少々地形的に高まりを見せている。 明確な遺構でないにしても、こういう遺構の範囲がなんとなく分かるのが個人的にお好み。 東側は旧河川道によって湿地帯となっており、現代もその堅固な様相を見せてくれている。 今回の城館探訪、初訪問の所ばかりになるのだが、実にいい。 やはり田植えの時期の爽やかな風に吹かれながらの城館探訪は楽しい。 一通り周辺を見渡した後、小谷城を後にした。 つづく [1回]
下野国田園城館探訪ツアー その4 法音寺城は比較的(多少埋もれているが)良い堀を残していた。 近くにありながらそれと対照的に遺構が不明な逆川城へ向かった。 ●逆川城(栃木県下都賀郡野木町) 別名「友沼城」ともいう。 ここもまた思川岸に作られたと思われる城だが、その遺構は不明瞭。 この忠魂碑の辺りで板碑が多く出たらしく、この辺りを歩いてみるのが手か。 ここより南は低地になっているので、北側の小高いところを歩いてみよう。 っと歩いてみたが、これは少々厳しい保存状態だ。 若干高まりになっている程度で、「おおよそこの辺りか」程度の推測しかできない。 城跡から見る今日の太陽は、一段とボンヤリしている。 今日はこんな天気の中城館探訪するのかなっと思いつつ、踏査をしていく。 城の北側にあたる部分で、少々谷が切り込んできているのが少々好感あり。 でも城の遺構と呼べるようなものでないような・・・。 諦めて城を後にしたとき、城の南にある逆川の河川設備のフェンスに城に関わる案内板が。 今のところ訪れている4箇所で最も遺構が不明確なこの城にだけ備わっている案内板、このアンバランスさがいいのかも知れない。 (他の城にも案内板があったかも知れないが、今回は当方発見できず) 遺構の保存度を優先する方々には多分不満が残る野木町。 でも個人的には好きな遺構が多くあったように思える。 それにしてもこの逆川城の遺構が不明瞭なのは想像をかき立てられていい。 かくしてまだまだ城の探訪は続くのであった。 つづく [0回]