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我が車、城館初陣編 その3


先の松山城を行っても、時間がまだある。
雨後なので少々地面がぬかるんでいないか心配していたが、さほど影響が無かった事が分かった。

そんな事で久々の比企郡における有名城館跡をじっくりと味わう事にする。


個人的に松山城の次に訪れるのはこの城である。

●青鳥城(埼玉県東松山市)
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周辺の城が国指定遺跡になる中、渋い遺構を集落内にとどめる青鳥城。
城の東部を関越自動車道が貫通してしまったが、それでも良く遺構が残っている。
まずはこの解説板の置いてある場所に車を停めて、違った角度からこの城を味わう事にする。

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関越自動車道の西側の側道を沿って歩いた事がなかったので歩いてみる。

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いい塩梅に錆び付いた碑が土塁の前に設置されているのを発見。
これがあるから城館跡の再訪問は侮れない。

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更にここも実は訪れた事がなく、少々驚いて見学した。
遺構の北面中央にこの虎口(?)があり、堀には土橋まである。
ここは本当の遺構か?あるいは後世の切り通しか?

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土塁に登り切り通しの向こう側を見ると、折の付いている部分がある。
なかなかいい。

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更に西には東松山市指定文化財として高さ2.24mの大きな板石塔婆(板碑)が安置されている。
もう一つ大きな板碑が高速道路向こうにあるが、個人的にはこちらの方がお好みである。

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先の板碑より南に歩くと竹林がある。
その竹林の中には本曲輪を囲む巨大な土塁と堀を見る事ができる。

今回もぱっと見て回ってきたが、この遺構の大きさは見ごたえがあって楽しい。
あと・・・これから城館跡に行けたとしても2~3ヶ所になるかな。
進路を西に向け、再び車を走らせた。


つづく

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我が車、城館初陣編 その2

流石に日差しも強くなり、少々暑くなってきた。
午前中はしっかり雨が降っていたので、湿度も高く少々蒸し暑いかも知れない。
以前から漠然と今の車の初陣先に決めていた埼玉県吉見町の松山城へ訪れた。

●松山城(埼玉県比企郡吉見町)
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実はこの松山城は何かと縁があって、当方の身に色々と変化がある時には訪れていたりする。
今回も車の買い替えをしたので、初陣先がおのずとここにしようと決めていたのだった。

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市野川沿いに県道が走っているので、その歩道を歩いていくと松山城の案内と登り口のある広場がある。

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案内板に描かれた松山城の地図。
地質的に掘りやすいようで、近場には吉見百穴(よしみひゃくあな)や後記する岩窟ホテルなどがある。

流石に雨が降っただけあって、登る道に水があってグチャグチャである。

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あれ?随分と木が少なくなっているように見えるのは気のせいだろうか?
この城に訪れるのも実は数年ぶり、しかも国指定遺跡になってから初の訪問なので変化があるのかも知れない。

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やっぱり木が伐採されていた。
今まで鬱蒼と茂っていて見えなかった笹曲輪だが、現在では視界良好となっていた。

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こう見ると結構大規模な公園整備のように見えてくる。
そのお陰で遺構が見やすくなっているのは嬉しい。

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本曲輪はある程度木を残してこうなっていた。
木が視界を遮らないので、東松山市街を見下ろす事ができるようになっていた。
やはり山城(ここは分類的には平山城か)はこうでなくては。

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うーん、ここまで見やすくなっていたとは・・・さすが国指定史跡効果という所か。
久々に見る松山城の遺構に大満足。
久々に写真を撮りまくってしまったのであった。

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こうしてしばらくして松山城の根古屋方面に出てきた。
結構入口が分かりやすくなっている為か、ご夫婦と思われるカップルが三組城内を歩いておいでだった。
アップダウンのある松山城の遺構なら、いい運動になった事だろう。

松山城にきたら必ず観覧するのが・・・
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そう、岩窟ホテル。
今でこそフェンスに囲まれて内部に入れないが、これを一人のおじさんが掘ったというのだから驚き。
個人的にはここを県指定史跡にしてもいいのではないかと思うのだが・・・。



ただ今の時間は午後3時40分。
まだまだ時間があるので、次なる城館跡を目指し松山城を後にした。




つづく

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愛車謝恩城館探訪 その8(最終回)


充実した東毛の城館跡を堪能する本日の探訪もいよいよ最終地になる。
大胡城をリストに入れられなかったのは残念だったが、後日やってくる新車に再訪の役を譲る事にする。
最終地に選んだ場所は旧赤堀村にある、あの赤堀城である。


●赤堀城(群馬県伊勢崎市)
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上毛電鉄膳駅の脇を通過し、南下するだけで赤堀城に着く事ができる。
だが、ここは地元車の抜け道らしく、群馬ナンバーの車に何度も煽られる羽目に・・・。
折角いい所に住んでいるのだから、もう少しゆったり走って欲しい所である。

ここも数年ぶりなので、駐車場所を忘れた。
確か路上駐車したと思ったので、今回も道幅のある場所(運良く駐車禁止区位置でなかった)に車を停め、城館探訪に赴く。

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近くの交差点には赤堀氏に関わる事を記した石版がある。
交通量がやや多い所なので落ち着かないが、赤堀城を楽しむ上でここで予備知識を入れておく。

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民家の間の道を抜けていくと結構広い赤堀城の堀跡を見る事ができる。
この城は東に鏑木川、西に粕川に挟まれた場所で、
南は両川の合流地点という事もあって北のこの場所に堀を築く事により、
理想的な防衛ラインを構築するに至っている。

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鬼門の方角である北東には折をつけた土塁が構築されている。
(写真は折を外側から撮影している)
こういう城館遺構を見るだけで、城主がいかなる性格の持ち主なのかが分かるのが城館探訪の楽しみでもある。

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赤堀城の折の付いた土塁の脇は切り崩されている。
その切り崩された付近に最初の写真にある案内板とこの碑が設置されている。
他に付近に石造物もあり。

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それにしてもデカい土塁である。
もうよじ登る気もなかったが、この天晴れな土塁を見れたので満足なり。

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本曲輪の現状は見事な耕地になっている。
以前訪れた時は早朝の朝6時で、すでに畑の持ち主の方が畑仕事に精を出してらしたのが印象であった。
流石に今回は日没前なのでいらっしゃらないご様子。

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それにしても見事な堀の幅である。
前回は土塁の大きさにばかり圧倒されていたが、今回は土塁と併せて作られた堀にも注目してしまった。
考えを変えればそれだけ我が視点が変わって来たという事であろう。


かくして本日の城館探訪の日程を全て終える事ができた。
夕刻は交通渋滞があるので、日暮れと共に仮眠するのが我が流儀であったりする。
そして帰宅ラッシュの終わった頃に、空いてる道路を疾走して帰るという訳である。
城館探訪でこの車に仮眠するのは今回が最後で、しっかりと睡眠を取る事ができた。

それにしても群馬の城館跡は案内が多く、城館探訪初心者にも安心できる城が多いのがいい。
今回訪れた城はそのごく僅かなので、またあの群馬の城館跡に訪れたいという欲が沸いてくる。

最後に十数年もの間、城館探訪ならびに日常でお世話になった愛車に改めて御礼を言いたい。
まだまだ心残りがあるが、今まで本当にありがとう!!


おわり

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愛車謝恩城館探訪 その7

そろそろ今日の城館探訪も佳境に差し掛かってきた。
膳城を出て西に向かい、あの思い入れのある大胡城を本日最後の城にしようかと考えていた。

ところが、大胡城へ向かう途中で見つけてしまったのだ。
「 中村城跡 → 」と書かれた錆び付いた小さな案内を!!


●中村城(群馬県前橋市)
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あの錆かかっていた案内に何の魔力があったのか知らないが、それに導かれるようにこの城に来てしまった。
県道沿いにはしっかり曲がり口を示してくれていたが、その後の案内は見当たらない・・・。
ふむ、これは今までの城館探訪で培った勘で場所を当てるしかない!!

これも凄い事で「あの辺りかな?っと思った場所に行ってみたらこの解説板を発見。
ふむう、この城にはなにかありそうだ。

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やや埋もれてしまっているが、水堀が公道より見る事ができる。
大概の館跡は堀を埋め立てて公道を作る事が多いが、この城は堀を残す形で道が作られていた為に残っていた。
流石にこれだけ水が見える堀だとズブズブと埋もれる可能性が高いので、今回は突っ込まず観察でガマン。

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折角なので我が車と堀沿いに植えられた桜とのツーショット。
ああ、まるでこの桜が「今までお疲れ様でした」と言っているように感じてしまうのは自分だけか?
他の城館跡の桜はまだであったが、ここの桜だけは七分咲きぐらいであった。
これもあの小さな案内板の起こした奇跡であろうか。

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桜の植えられている辺りは土橋状になっており、その先には使われなくなって久しい(虎口?)がある。
その先には民家があるが、幸い藪が視界を遮ってくれているので、虎口っぽい地形がクッキリと見える。

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そのまま北側をぐるりとしてみると東部の怪しい地形が見えてきた。
これが中村城の東側の備えであろう。
写真の内側は児童公園になっているようだったが、公園に入るのを忘れていた(汗
南側は宅地化されており、遺構は喪失しているようである。

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城の北東付近にはかって武田軍によって落城した際に奮闘したという姫の供養塔が建っている。
石碑には「姫塚」と書かれ、裏面に城と運命を共にした姫の悲劇を書いてある。
恐らく地主の方であろうか?塚の周辺を綺麗に掃き清め、新しい花を生けてあった。

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姫塚を全体的に見たら、そこにも桜が元気よく咲いているように見えた。
今日城館探訪をしてきた中で、この中村城の桜だけは非常によく咲いていたのも不思議な縁である。
他の桜に先駆けて花を咲かすその姿に、かっての姫の勇姿が重なって見えるのもまた不思議。


それにしても飛び入りでメニューに追加された中村城。
そんな中村城に我が愛車が最も労いの桜を見せてもらうとは思いもしなかった。
なお、その北にも月田館という館跡もあったそうなのでちょっと回ったが、宅地化されて見つける事が出来なかった。
やはり遺構が残されているというのがどれだけ強いのかを見せ付けられたのであった。

さて・・・今更だが大胡城に向かおうか?
いや、道路が渋滞しているので、大胡城に着く頃には夕闇に包まれているだろう。
これまた予定を変更して、本日最後の訪問先をあの城にするべく移動を開始した。


つづく

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愛車謝恩城館探訪 その6

山上城を後にして南南西へ約600mの近距離に膳城がある。
行政区分は桐生市(山上城)から前橋市(膳城)と変わるので、
僅か600mほどの距離であっても凄い移動したような錯覚があったりする。
(元の新里村と粕川村は同じ勢多郡であった)

個人的には山上城と膳城はいつもセットにして訪れる。


●膳城(群馬県前橋市)
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本当に近距離なのはありがたいが、考えてみたら車の駐車場ってあったか忘れていた。
お陰でこの道を2度も通過する羽目になってしまった。

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仕方なく本曲輪から北西方向にある粕川歴史民俗資料館付近に駐車する事にした。
今回ここも入ろうかと思っていたが、残念ながら閉館時間である4時を過ぎていた為に断念。

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そもそも今日(四月一日)時点ではここは開いてなかったようだ。
日が日だけにエイプリルフールでない事を願う(笑

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それにしても公道を堂々と歩きながら堀などの城郭遺構が見れるのは実に嬉しいもの。
とはいえこの公道も城の遺構を破壊して作られている為、それを考えると微妙な按配に・・・。

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本曲輪は先の公道から入ってすぐの所にある。
半ば公園化されているような場所なので、気軽に尋ねる事ができるのがいいかも知れない。

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ついでにしっかりと解説板(縄張り図付き)まで設置されており、資料を忘れても安心?
甲斐武田氏による「膳城素肌攻め」についてチョコっと書かれている。

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膳城内はかなり遺構の保存状態が良く、写真を撮るのにはもの凄く助かっている。
おかげで先の山上城とこの膳城では各200枚程の写真を激写してしまった。
デジカメのメモリーを多めにしておいた恩恵がこんな所で得られるとは。

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この城も案内設備は充実しており、一応この案内に従って動けばその場所にいけるようになっている。

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城内には石塔まで付いている。
おそらくは五輪塔・・・とは思うが、こういう石造物に関しては守備範囲外なので分からず。
移設しているかも知れないが、ここにずっとあったとすれば、膳城落城の際の供養塔になるのだろうか?

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なお、粕川歴史民俗資料館と道路を挟んで前橋市文化財管理センターがあり、その構内にも堀がある。
本曲輪付近に比べて浅い堀なので微妙な按配だが、その配置から見ても膳城の遺構なのだろう。


そろそろ日暮れの時間が迫ってきた。
後1時間半ぐらいが限度というところだろう。
次がこの十年以上連れ添ってきた愛車の最後の城館探訪先になる場所になる。
目標をあの城に設定し、車を走らすのであった。


つづく

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