深井氏屋敷(埼玉県吉川市) 深井氏屋敷所在地 北本市の深井氏屋敷と同じルーツを持つ謎の屋敷。 他の吉川市の城館跡同様河川の側の自然堤防上にある。 ここもまた現在の中川の自然堤防上にある。 って事で屋敷付近にやってきたが、至って普通の住宅街である。 屋敷跡を探している訳だから住宅街であるのは自然でもあるのだが・・・ そんな住宅街でもひときわ目立つのがこの香取神社であろうか。 香取神社が出てくると、もうそこは武蔵国ではなく下総国であると実感できたりする。 ふむ、自分もとうとう神社から土地勘が感じられるようになってきたか。 屋敷の明確な遺構は発見できない。 できないが・・・道路の形状が明らかに何かある形状である。 屋敷などがあった時、その周囲をめぐる道があったりするが、その名残を感じさせる形状である。 ここも微妙に折が入っていて、屋敷っぽさを感じてしまう。 こういう道路は地籍図を元に引かれるだろうから、こういう形になってしまうのかも。 土塁や堀が無くても道路で中世期の屋敷を感じられるのはちょっと嬉しい。 でも人を選ぶ楽しみ方でもある。 (殆どの人はつまらないとしか思えないだろうな) [0回]PR
戸張氏屋敷(埼玉県吉川市) 戸張氏屋敷所在地 戸張氏は千葉氏の支族で、千葉県柏市の戸張に居住していた事により起こったという。 その戸張氏は室町期に古河公方に仕え、梁田氏の下に付くことになったようで、この吉川の地に来たのもその命を受けての事であるという。 それからというもの、戸張氏はこの吉川の名族として現在も住み続けているようである。 戸張氏屋敷の周辺の風景。 ・・・っても単なる住宅地になっているのが現状であった。 せめて中世の趣を感じる場所であって欲しかったのだが・・・ っとさまよっていたら、茂みを発見。 近くに行ってみると・・・ここだけなんとも趣を感じる。 宅地になっているところは、かって堀だったのかなっと淡い期待を持ったりも。 中世の屋敷跡を思わせる場所はさっきの所だけで、大部分がスイミングスクールの駐車場か民家になっていた。 完全破壊よりかは少し地形的な高低が残っていただけでも救いと見るとしよう。 なお、現職の吉川市長は戸張胤茂氏で、千葉氏や相馬氏が通字として使用していた「胤」が付いていらっしゃるので、当地に住んでいた戸張氏の子孫の方と思われる。 [0回]
吉川氏館(埼玉県吉川市) 吉川氏館所在地 次に訪れたのは吉川を代表する中世武士吉川三郎の館跡である。 でもこの吉川三郎、幾ら資料を探しても詳しく書いてある資料が見つからない。 ので出自もその活躍もよく分からないままである。 吉川交番前交差点付近に吉川氏の館跡があったという。 交差点を少々西へ移動すると延命寺の山門がある。 『わたしたちの郷土 よしかわ地名編』においても土地の高い所に住んでいたとして、この延命寺を吉川氏館の第一候補に挙げている。 ちなみにこの目の前の道路は交通量が多く、車の隙を見てようやく撮影できたのがこの写真である。 山門脇には吉川市指定文化財である文安年間の板碑がある。 ・・・のだがどうも見に行く気になれずに、この山門付近をうろうろしただけで終了。 なんか最近自分でもやる気ない感じがする。 あと吉川市のホームページに吉川の地名を記したページがあったので追記。 吉川市公式ホームページ 吉川の地名・町名のおこり [0回]
大井城(長野県佐久市) 大井城所在地 雨はもう止む気配を見せない中、なんとか城館探訪を試みている。 次に訪れたのは大井氏の居城でまんま大井城。 大井城とは総称みたいなもので、南から「黒岩城」「王城」「石並城」の三からなる。 まとめて探訪してみた。 黒岩城は数年前まで南に伸びる尾根があったみたいだが、近年宅地造成によっておおよそ半分ぐらい喪失している。 写真はまさにその削り取られた場所で、いたって普通の住宅地になっている。 白山神社はその削られた部分を残っている。 台地が喪失する前にに行ってみたかった。 黒岩城と王城の間は県道が走っており、切通しの道が拡張されて今のようになっているようだ。 最初王城は公園になっているとの事で駐車場を期待していたが、残念ながら駐車場を見つける事が出来なかった。 (ので先ほどの黒岩城の付近に停めてきた) 王城公園はまんま公園になっており、中世城館跡を偲ぶものは解説板と石碑以外ちょっと見当たらない。 雨の降る公園は人が誰も居らず、雨音以外は静寂そのものであった。 王城公園の奥にはケヤキの古木がある。 これだけの樹齢であるからもしかすると大井城が現役であった頃も見ている・・・かも知れない。 でも発掘調査などでこの城が戦火にさらされ、炎上している事が判明しているので何とも。 石並(いせならび)城も王城と切り通しで区切られた城で、城の台地は現在も崩落が進んでいるようだ。 この地域お得意の地肌の出た絶壁が城の堅固さを視覚で訴えているかのよう。 崩落進行地区なので、当然ここに取り付いて登るのはほぼ不可能かと。 石並城の殆どが墓地になっている。 先ほどから書いている通り崩落進行地区なので墓地は大丈夫なんだろうかと要らぬ心配をしたりも。 墓地に入って王城方面(南)に少し進むと・・・なんとなく現役だった頃の曲輪の面影を見ることができた。 西側は岩村田の集落が密集している所にありながら、この雰囲気を残せたのも墓地のお陰か。 って事で総称大井城と呼ばれる三城を軽く回ってみたが、破壊は進んでいた。 でも墓地に関しては地表上は破壊されても台地が人の手で削られる事はなさそうだ。 雨も依然降り続けているので、今日の城館探訪はここで打ち切り。 昼寝をして帰る事にしたのだった。 [0回]
白岩城(長野県佐久市) 白岩城所在地 軽井沢から流れてきた湯川が削った斜面を利用した城で、別名平尾氏城とも呼ぶとか。 雨が結構降ってきたので、傘をさしながらも平野部の城館めぐりと行く事にしたのであった。 (写真は後日撮影した白岩城遠景) 平根小学校付近で県道が不自然なカーブを描いている。 これも白岩城の名残? 白岩城は現在殆どが民家・耕地・学校敷地となっているので、明確な遺構は残されていない。 やはり歴史的に不明な城館はよほど凄い遺構が無い限りは消える事が多いものだ。 平根小学校校庭、夏休みでかつ雨が降り始めた事もあって、校庭には人一人も居なかった。 それにしてもどんどん降りが激しくなってきたような。 学校より南に行くと白岩城の端部に着く。 この道もかって堀を利用した切通しだったのだろう。 本当に降りが激しくなってきたので、車に乗って早々に撤退した。 ここは石碑もなく、本当に人々から忘れ去られそうな城であった。 [0回]