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奈良梨陣屋(埼玉県比企郡小川町)

前々から側の県道を軍用道として利用させてもらいながら、今だに訪れていなかった奈良梨陣屋へ。
噂では良い遺構が残ると言うが・・・楽しみだ。

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現在の八和田神社境内が、かっての陣屋跡地であるという。
奈良梨交差点の北にはこの神社への参道が備えられており、この辺りの中心地であったかのような趣が残る。

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神社の裏側にはご立派な遺構が残されており、それを見ただけで喜びが。
最近まがい地巡りに転向しつつも、明確な城館遺構にはそれなりの喜びを感じるのだと自認できた。

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うわ~、これって一番大好きな「方形館」を色濃く残している!!
やばい・・・今まで訪問したことが無かったのを悔やむ位に好みだ・・・ここは。

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となれば方形館がもっとも美しく見えるアングルへ。
んん~~、この土塁の角と堀のコンビネーションが更なる興奮へとかき立てるようだ。
個人的にはこの角度は好きだ。
なお、写真の看板は奈良梨陣屋の解説板。

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更に土塁は神社の北をグルっと周って西の角辺りで喪失している。
おそらく西側の民家側に土塁が延びていたのだろうが、喪失したのだろう。
でもいい、この一部が見えるだけで当時の面影を偲ぶ事が出来てとても幸せだったりするのだから。
ただ・・・これ以上破壊されない事だけは願う。

色々と周ってきたが、今回ではここが(個人的に)ナンバー1に輝いてしまった。
やはり鎌倉街道沿いの遺構は良い。

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川窪氏館(埼玉県比企郡小川町)

竹沢氏館より国道254号線を東京方面にちょっと走らせて、川窪氏館へ。
一般的には「武田信俊館」と言われているようだが、ここに住んだ時点では「川窪」姓を名乗っているのでこれに従ってみる。

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川窪氏の館があり、墓所があるのが現在の輪禅寺である。
丁度寺が西から伸びる尾根上にある。

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輪禅寺の山門前より東を見る。
特に意味はないが、国道254号に近いながらも随分とのどかなので、和んだ。
さて、肝心の館跡へ。

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新しく山門脇に作られた解説板は「武田氏」を強調しているようにも。
確かに「川窪氏」じゃ「誰?」って言われてしまうのもオチだし・・・。
写真の鷹の絵、細かいところまでよく書けていて川窪信俊の絵の才能を垣間見る良い機会だった。
(それまで絵を描いている事すら知らなかった・・・)

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墓地の中央には川窪氏の墓所となっており、格式の高い宝篋印塔が建てられている。
笠などに欠損なくしっかりと保存されているのは輪禅寺の歴代住職様に守られていたからであろう。
っと見たいのはあくまで遺構なので、この辺りで遺構を探しに行く事に。

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っと本堂の後ろ(北)にいきなり土塁のような高まりを発見。
更に別角度で見ると・・・

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虎口?
見えなくもないが・・・ちっと微妙な感じがしていたりする。


実は後で尾根を断ち切るように堀があるか確認するの忘れてしまった。
また機会を見てお墓の西側を調べさせてもらいたいものだ。

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竹沢氏館(埼玉県比企郡小川町)

次はちゃんとした館跡をという事で児玉党の一門である竹沢氏の館跡へ。

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雲龍寺の背後にその館跡があるという。
狭い道を車のナビが頑張ってナビゲーションしてくれたので一発で到着。
北は丘、南に向かってなだらかに地形は落ちている。

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雲龍寺の北には熊野神社があり、館跡はこの辺りを指しているようだ。
ではお楽しみの平場を拝見っと・・・

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当然ながら平場は草ボウボウである。
うーん、今日は藪漕ぎする予定がないので平場をちょっと見ただけで撤収。
資料の図面を見ると色々と平場が点在している模様。

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竹沢氏館より南を望む。
ちょっと草が生い茂ってはいるものの、南に開けていていい立地条件だ。
水の手の確認はしなかったが、恐らく井戸ぐらいはあったと勝手に判断。
段々調査がずさんになってきたような??

って事で次の場所へ移動するのであった。

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謎の吉野城

小川町の吉野城は謎の多い城である。
それは3箇所ほど候補地があり、場所が定まっていない事に尽きると思う。
その候補地の一つである万所へ。

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木呂子地区に来た。
右を走るはJR八高線、写真中央が気になる橋なのだが・・・その名は。

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吉野橋。
小字等を調べていないので何とも言えないが、吉野とはこの辺りの通称なのか?
例外を除けばこの辺りが吉野と呼ばれている可能性がある。

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国道254号線と八高線が分かれる辺りにあるこの山。
見るからに砦に相応しい地形ではあるが、後で地図を見てみたら前後の山があって周辺の見通しが悪そうだ。
今回はどんな場所なのかを見るために来たので、登らずにこのまま引き返す事に。
(この時点では「小川町史」を見ていなかった・・・)

って事で次に。

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中城(埼玉県比企郡小川町)

ここまで来たからには中城も見たくなり、数年ぶりに訪問。

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北側にある陣屋沼より中城を望む。
東方に伸びる舌状台地を上手に利用した城で、小川町の市街地でありながらこの保存状態は嬉しい所。

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一応、陣屋沼公園利用者であれば車が二台分駐車できる。
この日も晴れていたのだが、利用している人が居なかったのでちょっと使わせてもらった。

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中城は外周をさらに土塁が囲っている城で、この手の込んだ作りもまた見ごたえがある。
やはりまがい地ばかり周っていると、たまにこういう良質の遺構が見たくなる。

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数年前に訪れたときにはこんな看板無かったような?
中城の遺構というより仙覚律師の居住地である方が有名のようで、中城より目立った文字で書かれている事が多かった。

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一瞬「場違い?」と思った階段だが、遺構の保存を考慮すると最善策とも思える。
確かに多くの人が歩くと遺構が磨り減ってなくなってしまうから。
土橋などの設備が見られない所を見ると、現役時代ここは板橋でも渡して通行していたのだろう。
流石に橋になるとメンテが大変なのでこういう階段で対応したという感じ。

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相変わらず本曲輪のテニスコートは健在だった。
流石に平日なのでテニスをプレイする人の姿は見られない。
前回も見なかったのでここを利用している方が居られるのかは分からない。

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中城から小川の街中を望む。
こう見るとこの辺りを治めるのに丁度いい立地条件だったのがよく分かる。
これより先は急落しており、街中になる。

久々に行った中城であったが、比較的草も刈り取られていて見学し易かった。
そんな良い遺構を見て、テンションを高めたのであった。

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