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新座郡の城館探訪

・・・を今日まったりやってきた。
新座郡と言っても今日は朝霞市を回るのでいっぱいになってしまった。

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下内間木の城館まがい地を巡ったついでに朝霞水門を見てきた。
この辺りは荒川(外川)と新河岸川(内川・渋川)が乱流している所で、新河岸川は本来ここで荒川と合流して河口付近では隅田川となっている。
いまでこそ水門で閉ざされているその川も、かっては水運で多くの船がそこを通過していたというのが感慨深い。
この水門付近に来たら急に風が強くなって、日差しも出てきた。

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朝霞水門付近の旧新河岸川(右手前)と荒川(左)の合流地点。
今でこそすっきりとしたストレートな川になっているが、かってこの辺りは川が複雑に乱流しており、中世期も絶えず洪水が起こっていたのだろうなっと思いながら川を見ていた。
ちなみに奥に架かってる橋は東京外環自動車道と国道298号線が併用している幸魂大橋。

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改めて朝霞水門を別の角度から眺める。
間近に行くまで分からなかったが、堤防の高さから4階ぐらいあるので、結構高い。
あのてっぺんの部分を展望台として開放して欲しい。

って感じで城館探訪の合間に川を見て涼んでいたのだった。
でも思ったより日差しが強くて日焼けしてしまったのであった。

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小前田氏館(埼玉県深谷市)

御前田氏とも書く、武蔵七党猪俣党に属する武士であり、元花園町の小前田を拠点としていた事からその姓となっている。
以前この小前田氏の館を探そうとしたが、区画整理などをされており途中で挫折した事があった。
今日は『花園の今昔』という有力資料を持ち合わせているので、それを元に訪ねる事にした。

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小前田氏の館があった場所を遠くより見る。
区画整理というとその後建物が建ち並ぶ光景が目に浮かんでしまうが、今回は農地という事で喪失したのだろうか?
是非とも土塁のあった場所は見ておきたい。

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今回捜索のポイントとしたのはこの水路。
『花園の今昔』に掲載されている図にもこの水路は書かれており、現在の地図と照らし合わせて場所を測定する。
ポイントはこの水路が角度を変える部分があり、そこを元に場所の判別をする。

結果、土塁のあった場所は現在一戸建ての民家になっている事が分かった。
こちらは写真を載せないが、しっかり土塁あった場所だけはマークしておいた。

県内に残されている城館遺構が改めて急速に失われつつあるのを実感するに至った。
いち早く遺構を発見し、失われる前にその目で見ておきたい所である。

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飯塚氏館(埼玉県深谷市)

数年ぶりに元花園町の「飯塚氏館」を訪れてみたくなったので、訪れてみた。
もしかすると数年前の場所が違うかも知れなかったからである。
今回は資料として持参した『花園の今昔』に掲載されている図面には、空堀が幾つも掲載されている。

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こちらが数年前、間違って飯塚氏館と思い込んでいた場所の遠景。
これを撮影した当初は城館探訪を始めたばかりで、見る目が養われていなかったからのう。
実はこの写真の場所の北が館跡の場所であった。


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この緩やかな尾根上に飯塚氏館があったとの事。
早速空堀の跡を探してみると・・・

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畑の向こう側にみえるアレは・・・土塁か?
にしても結構大きな土塁が残っているように見受けられる。

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先ほどの土塁に近づいてみた所、どうやら塚であったようだ。
塚の上には石祠が祭られており、土塁の跡というのは言えそうである。

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飯塚氏館の西側を走る旧道。
道が切り通しになっているようにも見えてしまう。

実はこの後「空堀」を見つけたのだが、何故か写真が残っていなかった。
デジカメが故障したか?あるいは空堀のある嬉しさで撮影し忘れたか?
どちらかといえば後者のような気がしてならない。

そんな事で今回から元花園町の城館跡および小字からなるまがい地巡りに出発するのであった。

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昨日は旧大井町・富士見市周辺へ

・・・周ってきた。
けど帰った直後に眠くて寝てしまった。

大井町の方は台地ゆえに少々中世期の歴史が乏しかったのが残念だった。
代わりに富士見市の方は調べれば調べる程、味のある地域だと分かった。
やはり河川に近い所でないと、中世の営みはできないという事か。
今回、周ってきた内容はまた後日。

そういえば富士見市の多門氏館、発掘調査していた。
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今回は調査している方々が忙しそうにされていたのでよく聞けなかったが、開発による発掘調査のようである。
前回(いつだったか忘れたが)来た時には鬱蒼と茂っていた場所だったので踏査できなかったが、見事に丸裸にされて調査をされている。

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これらの遺構が喪失する前に、速やかにご見学される事をお勧めいたします。
それにしてもこういった遺構が失われていく様をみるのは、いつ見ても悲しくなってくるものだ。

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奈良梨館(埼玉県比企郡小川町)


小川町の中をグルグルと巡っている内にかなり日が傾いてきてしまった。
今回最後の訪問となったのが奈良梨館。
ここも良い遺構が残るというが・・・では早速探しに行くことに。

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いつも通っている県道。
でも何故かここに遺構があると知りつつ、通過してしまっていた。
今回はしっかり拝見していく。

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ピクン!!!
我が「城館レーダー」がこの辺りで反応を示した(笑)
こういう藪の中こそ遺構ありといういつもの習性で見た所、やはり土塁があった。
でも悲しい事に写真写りが悪い為この迫力をお見せできないのが至極残念。

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更に堀が土塁から少し離れた所にあったので撮影した・・・
だめだ、全然堀の様子が分からない・・・。
いつか地形だけ撮影してくれる城館探訪者向けのカメラが開発される事を願ってしまう。
流石に今からこの竹薮に突撃するのは萎えるので、道路の反対側へ。

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西の方が少し高まっており、そこへ入ると立派な削平地がある。
土塁に見える所は高台になっているのを見ると、この辺りも立派な遺構か?

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コレだけ見ると立派な城館遺構に見えてしまうから恐ろしい。
でも今まで存在を知っていながら訪問しなかったのが後悔するほど良い遺構があって良かった。

その後かなり眠かったので、興奮した奈良梨陣屋の堀の脇で車を停めて昼寝させてもらった。
ちっと目が醒めたら、他の陣屋訪問者の方がちょっと邪魔そうにされていた。
それに気付き速攻でその場を後にしたのだった。
(基本人見知り激しい性格?なので地元の方への聞き込み以外では人との接触は避けている)
その時の方、探訪の邪魔をしてごめんなさい。

かくして小川町の平野部を現在把握できる限り歩いて見たが・・・
家に帰ってみて「中爪遺跡」を訪問し忘れてしまっていた。
こうしてこの日の城館探訪を終えたのだった。

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