愛車謝恩城館探訪 その5 もう2週間以上前の話になってしまっているが、続きである。 旧大間々町の高津戸城を後にし、図書館で資料をコピーしてしまった。 思ったより良い資料が手に入ったので、至極満足であったりする。 そのまま西に上毛電鉄沿いに進む事になる。 前に何度か話している事だが、個人的に赤城山山麓の城館跡は好きである。 地形的に北は赤城山、南は広大な関東平野が広がっているという風景だからだろうか? ●山上城(群馬県桐生市) 元勢多郡新里村山上にある城で、現在は桐生市に合併をしている。 今日のスタートが桐生市だっただけに、桐生市って広くなったものだと歓心する。 久々の訪問であるが・・・あれ?こんな施設はあったっけか? 以前に訪れたときにはすでに公園化されてはいたが、この建物の存在はすっかり頭から抜けていた。 なお、ご城内は駐車場および公衆トイレ完備で、一般の方はもちろん城館探訪する方にも優しい城である。 今回山上城を訪れた中で一番印象のある建造物。 一般的な「城」のイメージが西洋の城であるという事を改めて認識できる。 城内は半分以上が公園化されているので、夏場でも藪の心配なく訪れる事のできる城である。 ただ、薮蚊の存在があるので、あまり安心できないのだが・・・。 城の知識がない方にも安心の案内も設置されている。 ただ、「 城の知識がない = 城に興味がない 」の可能性もあるので、 知識が無いけど興味のある城館初心者さん向けであると言えそうだ。 実は城の北が公園設備が不十分な為、かなりド派手な遺構が残されている。 普段消えかかっている堀や土塁しか見ない身としては、とっても目の保養となりますです。 前回訪れた時にはこちらの調査を忘れた為に、今回幾つも取り巻く堀と土塁をじっくり堪能する。 周囲を確認した後、ようやく本曲輪に到着。 北寄りに石碑が建てられており、一緒に記念撮影はしないものの、思わずニッコリする設備である。 ほぼ蕾の桜の木にも、一部咲いている花を発見。 あと1~2週間もすれば満開になるのだろう。 今日はうす曇であったが、三の丸の広場では子供たちが元気に遊んでいた。 保護者と思われる中年男性が座っていた石には、この城の縄張り図が立体的に掘られていた。 やや簡略化されているが、本曲輪を守るように効果的に土塁と堀を配置しており、なかなかの城である。 トイレで用を済ませ、山上城を後にした。 振り返るとそれほど標高も高い山ではないが、あの遺構をみればここも堅城であると理解できる。 さて、日没までまだまだ時間がある。 今は亡き愛車と共に次なる城館跡を目指すのであった。 つづく [0回]PR
ささいな城館 ちょっと気分がいいので、朝から車でドライブする。 毛呂山町に入った辺りで毛呂山総合公園になってしまったという宿谷氏の「西の前館」を訪ねてみる事にしてしまった。 桜が開花した日曜という事もあってか、朝の6時から多くの人々が訪れていた。 背後の山に「馬場跡」があったというが・・・この自然地形の丘陵が馬場跡だったのか? 深くにまで入らなかったので不明。 それ以上に哀愁を誘うのが安曇幹線の撤去の模様である。 すでに新所沢変電所から田波目城南付近までの安曇幹線は全て撤去されてしまっている。 ここも架線は外され、撤去作業しやすいように木が伐採されている。 電線の張ってない猫耳鉄塔(正式名烏帽子形鉄塔)はじっとその場で解体の時を待っていた。 話を戻って、この西の前館は資料を持ってきていなかったので、後日再び訪れる事としよう。 [0回]
愛車謝恩城館探訪 その4 桐生市を後にして車は山沿いに西に走る。 渡良瀬川の川沿いには幾つかの城館跡があったのだが、今回はパスして目的地に直行。 次なる目的地は現在みどり市になっている旧大間々町の高津戸城である。 ●高津戸城(群馬県みどり市) 渡良瀬川の急流が洗う絶壁上にそびえる山城で、個人的には結構好きな城であったりする。 とはいえ実は今回が2回目なので、じっくりとその遺構を堪能したい。 実はこの三の曲輪までは自動車で乗り入れ自由であったりする。 かってここにあったという堀切が埋没させられてしまっているのが残念なので、 いつか復元して欲しい所でもある。 駐車場にある展望台からはかっての大間々町市街地が渡良瀬川越しに一望できる。 今回は天気がイマイチなのが残念であったが、それでもよく見えている方だと思う。 川底めがけて掘りぬかれたこの竪堀は見ごたえあったり。 今ではだいぶ緩くなっているが、当時はかなり鋭く掘られていたのだろう。 本曲輪にある要害神社。 この「要害」って名前がいかにも城館探訪者へのご利益がありそうな名前でよい。 今後の探訪を祈願してお参りをしてきた。 城内はそこそこ歩道が整備されており、一般の方々もチラリチラリと居られた。 平場が段々状に見えるこの角度もなかなか(木が邪魔して見づらいのだが・・・) 本曲輪の東には古井戸跡(水の手)と思われる場所がある。 案内板が付いてはいたが、表面が風化しており解読不明だった。 実は本曲輪から北は未だ見ていなかったのである。 北には緩やかな尾根が続いており、それを防御すべく3回も掘られた堀切がある。 公園化されたためにユルユルの上に土橋まで設置されていた。 できれば原型を留めていてほしかったのだが・・・。 こんな感じでじっくりと遺構を観察させていただいた。 やはり城館跡は2度3度訪問するごとに良い部分が見えてくるので嬉しい。 そのご旧大間々町立図書館へ向かい資料集めをしてしまったのであった。 つづく [0回]
愛車謝恩城館探訪 その3 先の茂倉があまりにも遺構が無さ過ぎた上に、かなりの体力を消耗してしまった。 最近山城もロクにいっていないツケが来ているのかも知れない・・・。 そんな事で今度こそ遺構がある場所へ向かった。 ●梅原館(群馬県桐生市) 手抜きで解説板で現地の情報を提供(汗 実を言えばここは初めて来る所なので所在地までグルグルと迷走しておりました・・・。 日差しもうす雲から出てきた中、風も確実に春を告げる暖かさを持っていた。 現在、薬師堂のある周辺を見渡すと・・・ うーん、いい土塁。 堀もあればパーフェクトであったが、ここまで市街地化されていて土塁が残っているのだから贅沢は言えない。 薬師堂の裏は墓地になっており、土塁もそこまで続いている。 なお土塁上には立派な宝篋印塔まで建てられていた。 薬師堂の東側は民家を挟み小川が流れている。 この比高差を見るだけで、いい気分になってしまう。 いつも柄杓山城に直行してしまい、毎回スルーしていた梅原館。 本当は近くの物見山や岡平城推定地にも訪れたかったが、今回はパス。 また改めて桐生市の城館跡を探索してみたいものである。 つづく [0回]
愛車謝恩城館探訪 その2 前回の桐生柄杓山城が素晴らしかったので、今度はその周辺の砦を見てみたくなってきた。 そこで選んだのは・・・「桐生市埋蔵文化財マップ(H6、3,31)」に掲載されている「茂倉2」の場所である。 ああ、今日はメジャーな路線で行くはずなのに、思い切り脱線してしまう。 ●(仮)茂倉砦(群馬県桐生市) 浄水場のある辺りまで来ると・・・立派な登山道が整備されていた。 その内容は・・・ ずばりこれだった。 これは確率的に遺構が(在ったとしても)破壊されている確立が高まってしまった。 それでも現地に行ってみた・・・ 案の定、山頂に所狭しと放送設備が建っていた。 ここまで車道などは一切無かったので、ヘリコプターを使ってこれらを持ち上げたのか? 南北に伸びた尾根上に堀切を期待してみたが・・・見た感じないようだ。 丁度この放送設備への電力供給の為、木が伐採されて見通しが良くなっていた。 丁度テレビの放送設備が作られていたお陰で、北側の見通しがたいへん良くなっていた。 桐生柄杓山城からもこの方面は見えるようだが、それを補う形でここも使われていたのかと勝手に想像してみたり。 なおこの写真の中央やや下の山が、ここの次に行こうかと考えていた「塩ノ瀬4」。 ほぼここと同じぐらいの標高があるので、かなり萎えてきた。 そんな事でやっと我に返り、然るべき目的地へ行く事にした。 でも「まがい地」って本当に魅力的だ。 つづく [0回]