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信州に行ってみた。

他の武蔵直登の方々が信州の城館攻めをされていたので、自分も行ってみた。
東部の佐久地方ぐらいしか資料が無いのだが、それでも楽しく行ってこれた。

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夜明け直後の群馬県荒船山の艫岩。
国道254号で長野入りする際に撮影したもの。
相変わらず恐ろしい山容だが、登らないので鑑賞するだけなら問題なし。

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こちらは長野の山城の一つ。
長野県側は丁度霧がかかっていたので、それがかえって幻想的な城館写真に仕上がったりも。

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今日は素敵な青空の下、城館探訪する事ができて楽しかった。
ただ、午後3時ごろより雨が降り始め、テンションはガタ落ちに・・・。

この模様は後々ブログにアップする事に。

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多門氏館(埼玉県富士見市)

多門(おかど)氏館は中世期の館跡に徳川氏の旗本多門氏が住んだことから因む名前である。
以前は何故か木が生い茂ってるという理由で撤退していたのだが、やはり訪問していないのは気がかりだった。
そこで今回の訪問となった訳である。

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前は森だった多門氏館が、綺麗に伐採されて発掘調査されていた。
なんのめぐり合わせか?館跡は今新たなる真実を求めて掘り返されていたのである。

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堀はしっかりと従来の姿を取り戻しているようだったが、残念な事にブルーシートが被っているので中が伺い知る事ができなかった。
でもこれを見るだけで結構深い堀のようである。

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館跡内部もしっかり発掘されており、幾つかの柱穴が顔を覗かせている。
中世期の屋敷は基本的に掘立式であり、家の柱を建てるのに当然穴を掘っている。
この穴のお陰でその館跡にはどの位の規模の屋敷が建っていたか、垣間見る事ができる。

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他のサイトでは木が生い茂っている写真が多かったが、これを行った時には見事な見ごたえがあった。
本当は発掘調査をされている調査員の方に話を伺いたかったのだが、忙しそうに動いておいでだったので声をかけるのを控えた。
後日同地を再訪問された「そこに城があるから」の左馬助さんの話によれば、住宅開発による発掘で遺構は喪失してしまうとの事。
確かに中世期の館跡なら液状化現象の心配はほぼ無いが・・・できたら後世に残して欲しい遺構の一つでもあった。
この日は心残りが無いように、徹底して撮影してきた。
せめてこちらの堀は残して欲しいものだ。

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鶴馬城(埼玉県富士見市)

現在富士見台中学校になっている台地に、かって鶴馬城という中世期の城があったという。
東に突出した台地になっており、校庭になっているところには、台地を横切る堀切りらしき窪地があったという。
早速訪ねてみよう。

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来てみてから気付いたミスが一つ・・・丁度時間が放課後だったという事。
当然訪問日は平日なので、中学生たちが校庭で部活動に勤しむ時間である。
そんな所にカメラを持った怪しい城館探訪者が行ったら・・・絶対警察に通報されてしまう。
仕方ないので差し支えない所を撮影していく事にした。
ので有力な写真が撮れなかった・・・。
本当は堀のあった校庭を撮影したかったのに・・・。

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中学校のある台地の南側に来た。
一緒に写っている建物を見れば台地の高さがある程度把握できるかと。

そんな事で「これぞ鶴馬城!」という写真を撮れず、無念の撤退をしたのであった。

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打越遺跡(埼玉県富士見市)

打越と書いて(おっこし)と読むのを知ったのは、現地を訪れてだった。
打越遺跡は複合遺跡で、縄文時代やらの遺跡も含まれているので中世期の物だけではない。
でも平安期の住居跡があり、中世期の館跡があったというので訪ねてみたが・・・
見事に住宅地化されているので萎えてきた・・・。

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谷津(江川)越しに打越遺跡(中央部の森)を見た所。
あの辺り駐車場が見つからないので参ってしまった。
せめて崖に築かれた公園ぐらいは訪ねれば良かったが、道の狭さに戸惑い撤退。
これからどんどん遺構の少なくなってくる地域に行くのに、このヘッピリ腰じゃいかんな。

って事でいつの日か再訪問して調査せねばならないと思うのであった。

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水子陣屋(埼玉県富士見市)

こちらも数年ぶりの水子陣屋である。
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水子陣屋の上の台地は、今も畑があったりして実にのどかな光景を残している。
自分としてはこういうのどかな光景の中、城館探訪するのが好きなのだが・・・

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台地の末端部分を通る道。
水子陣屋があったであろうこの台地の末端部分は住宅が建ち並び、遺構の残っている気配が感じられない。

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台地の上から北東方面を眺めた所。
木々が視界を遮って見通し悪いが、比高差5m程のこの高さがあれば新河岸川沿いの眺望も良かった事だろう。

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「城ノ腰」と呼ばれる地域は、残念ながら国道254バイバス(浦所バイバス)が通過しているので削られてしまっている。
最近お気に入りの『迅速測図』を見てもこの辺りは民家が密集していた所で、遺構はあまり期待できない様子だった。

都市化が進むと遺構の喪失した城館跡が多くなってくる。
気分的には萎えてくるけど、残っている遺構を見た時の喜びは大きくなる。
そんな事で段々調査地域が都心に近くなるが、調査していきたいものである。

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