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内山城(長野県佐久市)

内山城所在地


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平賀城を訪ねた後、内山城へ向かった。
国道の旧道と思える道の真正面に見える山が内山城で、今回は林道が走ってないので体力勝負の山登りになる。

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ふもとの園城寺を参拝させていただきつつ、駐車場に車を停めさせてもらえないか住職さんに相談させていただく。
結構若い方で、登り道の場所を教えていただきつつ、快く車の駐車を許していただけた。
では内山城へ向かおう。

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ちなみに内山城へは結構案内表示が設置されているので、ある程度は迷わず行ける。
こういった案内があるだけでも大変助かる。

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園城寺の東に衣笠神社があり、その右脇に城への登り口がある。
しかし、自分はそれに気付かず通り過ぎ、墓地の辺りをうろうろしてしまったのであった。

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これが内山城への登り口である。
ここを見つければこの先は結構な踏み跡が付いた道なので、注意深く辿っていけば迷わず行ける。
それにしても平野部の館跡ばかり探訪していた身には、この登り道はきつかったりも。

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途中にはベンチ付きの休憩所もあり、休み休み歩いていくことができる。
ただ、今回は雨が降ったようで湿っていたりするのでベンチには座らなかった。

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そうこう登っていくと岩が露出したりするところがあり、険峻さを物語っている。
そんな岩場を越えて登っていくと、ようやく三ノ丸と書かれた案内板が出てくる。
ここまで来れば本曲輪までもうちょっとで到着する。

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山頂付近から麓を見下ろすことができる。
付近の状況が手に取るように見渡せるので、物見に最適なのがよく分かる。
ふと見ると汗でびっしょりなので、この景色を見ながら休憩してた。

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また内山峠方面も見ることができるが・・・こちらは少々見通しが悪いようだ。
しかし、この山々には戸谷城・猿田城・曾根城・鍋割城といった城々があったようで、この内山峠方面の視界を補助していたのであろう。
やはり城というのは他の城と連携を取り合って大きな力を発揮するというのが実感できる。

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最高所には本曲輪があり、木で作られた碑も設置されている。
あまりここの城には人が来ないようで、割と草が生い茂っていた。
なお、本曲輪からの眺望は木が茂っているため、殆ど見えない。

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足元を見てみたら、セミの抜け殻があった。
こういうセミの抜け殻を見たのは何十年ぶりだろう、ふと懐かしくなった。

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本曲輪付近は腰曲輪が幾重にも連なっている。
一つ一つの曲輪を堪能してたら・・・



ガラガラ!!!


!?
もしかして踏んだ石が斜面を落ちていった?
っとよく見たら鹿が数匹山奥の方へ逃げていった音だった。
そう、この辺りまで来れば自然も豊富で野生の動物も豊富に居る。
つい熊除けの鈴を鳴らし忘れていたので、取り出して装着した。
本物の熊に遭遇しない事を願いつつ・・・

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やっとめぐり合えた、麗しの堀切様。
平場ばかりだと寂しかったので、この堀切の出現は実に嬉しかった。


実は本曲輪の西側にも堀切が二箇所あるようだが、先にここより東にある内山古城へ行ってみたいと思うので、堀切を乗り越えて東へと歩いて行った。

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平賀城(長野県佐久市)

まだ霧の晴れぬまま、平賀城を目指す事にした。
雰囲気的にこのまま晴れそうなので、問題なさそうである。

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一応平賀城方面を撮影しているが・・・まったくわからん。
地図を見てより楽に城に探訪できる方法を考える。
すると北麓の正安寺の脇に林道がある事を発見し、なるべく上まで車で行く事にした。

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こういう目印もない道だと車のカーナビが絶大な効果は発揮する。
今度ポータブルGPSでも欲しいものだ。
って事で平賀城に一番近いポイントに到着。
林道にいながらにして、既に堀切が見えるのが嬉しい所。

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ちょっと入るだけで曲輪の出てくるこの幸せ感。
それにしてもよく削ってあって、まがい地巡りばかりの自分にはたまらない遺構である。

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しばらく歩いていくと、長野県教育委員会お手製の標があった。
それによると搦め手(裏口)だったようで、そこにはしっかり削平された腰曲輪があった。

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なんというグレイツな道。
頭上は本曲輪があり、一歩でも道を踏み外せば転落する。
さすが搦め手だけあり、守りは堅い。

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そこからすぐに本曲輪にたどり着いた。
依然として霧がかかっていてはっきりしてないが、見晴らしは良さそうな場所である。

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しかも東屋まで設置されているゴージャスさ。
埼玉県の山城でも数城しかない東屋がこんなあっさりと置かれているあたりに長野県のレベルの高さを感じさせられる。
(ただ単にハイキングコースなのかも知れないが)

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しかも厠付きという!!
だが・・・ここで用を足すにはちょっと出てきそうで怖い。
東屋(寝床)があり、厠(トイレ)ありと来れば水の手を完備すれば城で生活できそうだ。

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石碑および解説板は三の曲輪にある。
大手口から来たらここで感動を味わうのであろうが、こちらは先ほどの厠ですでに感動させていただいている。
この先にも遺構があるのかも知れないが、戻ってくるのが億劫になりそうなのでこのまま搦め手に戻る事にした。

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段々霧が晴れて、朝日が城内を照らすようになってきた。
最初霧が出ていてどうなるかと思っていたが、霧越しに照らされる朝日がなんとも美しく見えた。
その幻想的な光に照らされて、城の遺構がより美しく感じられてしまうのであった。

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ちなみにこちらが晴れた平賀城。
林道が設置されていてくれたお陰で楽々城館探訪させてもらった。


場所

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太田部離山狼煙台(長野県佐久市)

長野県に入って第一に訪れた城である。正確に言えば狼煙台になる。

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時間は今朝の5時、長野県は素晴らしい霧に包まれている。
離山という名前に相応しく、その狼煙台は水田にポツンと取り残されたようにある。
南側からのアクセスを試みる事にした。


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QBBチーズでおなじみの六甲バター社の工場側の道を通り、普通車じゃちょっときつそうな道にたどり着く。
オフロード車でも好き好んで行かない方が良さそうな道である。

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途中で意味ありげな平場が段々状に設けられている。
果たしてこれは狼煙台の遺構か?それとも?

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離山の上辺りに来た所、霧がかかっていて視界が悪いが千曲川沿いの景色が一望できる。
他からもこの離山の形状が目立つため、目印になる事は間違いなさそうである。

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平場はある・・・平場はあるがこれを狼煙台の遺構と決める決定打に欠く。
それにしても草が濡れていてズボンが湿ってきた。

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ここなんか堀切に見えなくも無いのだが・・・ここまで曖昧な地形だと城の遺構にも見える見えないで困ってしまう。

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離山を降りてくる最中、恐らく小海線の始発電車と思われる列車の通る音が聞こえた。
周囲は広々としているため音が一段と大きく聞こえた気がする。
って事で次なる場所に移動することにした。


場所

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関根氏館(埼玉県志木市)

埼玉県では「関根姓」の割合が他県に比べて非常に多いそうだ。
それを反映してか埼玉県の中世城館跡にも関根氏が居館としていた所は三ヶ所ある。
今回訪問する関根氏館は志木市の河原岸にあったとされる館跡である。
羽根倉の渡しの付近に位置し、徹底破壊と思いきやほんのりと館跡の名残がある。
流石に道路の形状まで喪失(変革)されていたら萎えるが、この微妙な残り具合は好きである。

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これが関根氏館のあった場所の遠景。
土手の上からその痕跡を見ると、中世城館跡の慣れの果てという哀愁が漂ってくる。
では土手から降りて、現地を見てみよう。

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この道はかって「羽根倉の渡し」があった当初現役だった道で、この先にその羽根倉の渡しがあった。
自分の好きな「迅速測図」でこの場所を見ると、その渡し周辺には数軒家があったようだ。

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その道の傍らに、なにやら怪しげな土盛りがあったりする。
まさか・・・土塁が残っていたのか?と期待したくなってしまうが、真相は不明である。
もしかすると草が盛り上がって土塁に見えるだけかも知れない。

グランド造成される前の状態で見たかったというのが本音。
でもあれがもし館跡の土塁であったとしたら、残して欲しいものだ。

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難波田城(埼玉県富士見市)

難波田城は富士見市で最も保護されている遺構で、史跡公園として整備されている。
実はこの城、今回含めて三回ほど訪れているが、一回も晴れた日に来た事がない。
たまたまであると思うが、他にも雨にしか訪れた事の無い城もあるので似たようなものか。

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「難波田城公園」は南側から入ると、旧家の立ち並ぶ何とも凄い雰囲気に包まれる。
旧家はあまり興味がないが、そののんびりとした光景は結構好きかも知れない。

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折角来たのだから資料館で資料を・・・と思ったら、今日は月曜日だったので休館日。
ここの資料館はたまに面白い資料が見られたりするから期待していたのだが、残念なり。

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蓮の池にポツンと花開こうとしている蓮の花。
行ったのが六月上旬で、これからどんどん花開いていく事であろう。
ちなみにこの付近の小字は蓮田で、その名残を残していると言える。

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最初見たときには「結構小さな墓石だな」って思っていたが、後で資料を調べて見ると十玉院の名残であった。
十玉院はこの辺りでは有名な修験場で、この富士見市から志木市に掛けての中世歴史を調べるとこの十玉院の歴史にぶつかる。

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そしてこれが史跡公園として整備された難波田城の今の姿。
水堀などは発掘調査の結果を基に再現されているので、それなりのよさはある。

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本曲輪付近は残念ながら大部分を民家が占有している為、一部しか公開されていない。
それでも石碑を置いたりして、本曲輪に来たぞという達成感は味わえるかも。

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復元された木橋もある。
これも発掘調査の結果、橋を支える柱が見つかった為に架橋された。
復元遺構ぐらいじゃないと橋はメンテナンスが大変なので滅多にお目にかかれない。

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他にも食違い小口や木戸(城戸)など色々と整備されているので、中世城館初心者には勉強になる場所だと思う。

他にも難波田城祭りにて火縄銃の実演もやっている。
過去にそのレポも書いた事があるので、そちらも拝見されたし。 → こちら

他にも数ヶ所城館遺構と思われる所が富士見市にあるが、未だに調査していない。
後日再び訪問して調査してみねばならないな。

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