五本松城(長野県佐久市) 五本松城所在地 内山城の北側にある城で、内山城程ではないがある程度堀切などの遺構が残っているという。 それを見るべく内山古城経由で稜線を伝って歩いて行こうと思っていた。 こちらは内山城から見た五本松城。 内山城とほぼ同じ高さの山で、比較的近距離である。 それで背後の守りをさせるべく取り込んだ城なのだろう。 内山古城までは歩き易かった道が、急に牙をむき始めた。 なんと稜線の木々が横倒しになって道を塞いでいるのである。 藪漕ぎならまだ少しはいけるが、倒木は結構骨が折れるものだと思い知る。 それゆえに城郭の伐採した木や枝を掘に配置する逆茂木という防御技術があるが、それを生で体感しているよう。 足止め食らっている上に弓矢で攻撃されたら、攻め手はひとたまりも無い。 少しばかり進んだ所で木の枝に乗せていた足が滑り、「ビリ!!」っとズボンが裂けてしまった。 この時点でかなり士気が低下し、撤退モードに入り始めた。 北側の麓では採石場があり、そこで採石する重機の音が響き渡ってくる。 以前群馬県天引城で登り口を間違えて似たような事になり、挙句頭上から重機の音が響いてきたのを思い出す。 ケースは違うがこれを思い出して、撤退する事にした。 もしこの時点で五本松城に堀切などの設備があると知っていたら、進んでいたかも知れない。 (その時はよく資料を読んでなかったので、遺構が皆無だと思っていた) 足を取られ、過去の城館探訪を思い出させてくれた五本松城。 もし再訪の機会があれば麓から行く事にしたい。 しかし、倒木さえなくなれば内山城・内山古城とセットで探訪した方が楽々見れる。 かくしてこれまで来たルートを辿り、転げ落ちるように車に戻って持参していた水を飲んだ。 山城をあともう一城行く予定だったが、この撤収により行く気がかなり萎えてしまった。 まだ午前中なのだが・・・ [0回]PR
内山古城(長野県佐久市) 内山古城所在地 内山城に来たからには内山古城にも行っておかねばと思って行ってみた。 『佐久市志 歴史編(ニ) 中世(以後市志と呼ぶ)』によれば、この内山古城本体より「沖の入」と呼ばれる沢に石積があるらしい。 うーん、流石にそれをくまなく探していたら、今回の探訪における体力と時間が激しく消耗するのでパス。 ひとまず古城本体に行く事にする。 内山城から内山古城への道は比較的楽な道があり、内山城探訪のついでに立ち寄るのに丁度いい感じである。 多少のアップダウンはあるが、特に気にしない程度なので助かる。 市志に掲載されている地図の場所に行くと・・・確かに平場って言えば平場に見えるが・・・ 削平のされ方も甘く、南北朝期における山城を彷彿させる作りである。 つまり長期戦ではなく敵が消え去るまで籠もるという、まさに「詰めの城」と言える。 さて、ここまで来たのだから、このまま稜線上に所在する五本松城も訪れる事にした。 かくして地図をよく見直し、五本松城の方角へ歩いていった・・・。 [0回]
内山城(長野県佐久市) 内山城所在地 平賀城を訪ねた後、内山城へ向かった。 国道の旧道と思える道の真正面に見える山が内山城で、今回は林道が走ってないので体力勝負の山登りになる。 ふもとの園城寺を参拝させていただきつつ、駐車場に車を停めさせてもらえないか住職さんに相談させていただく。 結構若い方で、登り道の場所を教えていただきつつ、快く車の駐車を許していただけた。 では内山城へ向かおう。 ちなみに内山城へは結構案内表示が設置されているので、ある程度は迷わず行ける。 こういった案内があるだけでも大変助かる。 園城寺の東に衣笠神社があり、その右脇に城への登り口がある。 しかし、自分はそれに気付かず通り過ぎ、墓地の辺りをうろうろしてしまったのであった。 これが内山城への登り口である。 ここを見つければこの先は結構な踏み跡が付いた道なので、注意深く辿っていけば迷わず行ける。 それにしても平野部の館跡ばかり探訪していた身には、この登り道はきつかったりも。 途中にはベンチ付きの休憩所もあり、休み休み歩いていくことができる。 ただ、今回は雨が降ったようで湿っていたりするのでベンチには座らなかった。 そうこう登っていくと岩が露出したりするところがあり、険峻さを物語っている。 そんな岩場を越えて登っていくと、ようやく三ノ丸と書かれた案内板が出てくる。 ここまで来れば本曲輪までもうちょっとで到着する。 山頂付近から麓を見下ろすことができる。 付近の状況が手に取るように見渡せるので、物見に最適なのがよく分かる。 ふと見ると汗でびっしょりなので、この景色を見ながら休憩してた。 また内山峠方面も見ることができるが・・・こちらは少々見通しが悪いようだ。 しかし、この山々には戸谷城・猿田城・曾根城・鍋割城といった城々があったようで、この内山峠方面の視界を補助していたのであろう。 やはり城というのは他の城と連携を取り合って大きな力を発揮するというのが実感できる。 最高所には本曲輪があり、木で作られた碑も設置されている。 あまりここの城には人が来ないようで、割と草が生い茂っていた。 なお、本曲輪からの眺望は木が茂っているため、殆ど見えない。 足元を見てみたら、セミの抜け殻があった。 こういうセミの抜け殻を見たのは何十年ぶりだろう、ふと懐かしくなった。 本曲輪付近は腰曲輪が幾重にも連なっている。 一つ一つの曲輪を堪能してたら・・・ ガラガラ!!! !? もしかして踏んだ石が斜面を落ちていった? っとよく見たら鹿が数匹山奥の方へ逃げていった音だった。 そう、この辺りまで来れば自然も豊富で野生の動物も豊富に居る。 つい熊除けの鈴を鳴らし忘れていたので、取り出して装着した。 本物の熊に遭遇しない事を願いつつ・・・ やっとめぐり合えた、麗しの堀切様。 平場ばかりだと寂しかったので、この堀切の出現は実に嬉しかった。 実は本曲輪の西側にも堀切が二箇所あるようだが、先にここより東にある内山古城へ行ってみたいと思うので、堀切を乗り越えて東へと歩いて行った。 [0回]
平賀城(長野県佐久市) まだ霧の晴れぬまま、平賀城を目指す事にした。 雰囲気的にこのまま晴れそうなので、問題なさそうである。 一応平賀城方面を撮影しているが・・・まったくわからん。 地図を見てより楽に城に探訪できる方法を考える。 すると北麓の正安寺の脇に林道がある事を発見し、なるべく上まで車で行く事にした。 こういう目印もない道だと車のカーナビが絶大な効果は発揮する。 今度ポータブルGPSでも欲しいものだ。 って事で平賀城に一番近いポイントに到着。 林道にいながらにして、既に堀切が見えるのが嬉しい所。 ちょっと入るだけで曲輪の出てくるこの幸せ感。 それにしてもよく削ってあって、まがい地巡りばかりの自分にはたまらない遺構である。 しばらく歩いていくと、長野県教育委員会お手製の標があった。 それによると搦め手(裏口)だったようで、そこにはしっかり削平された腰曲輪があった。 なんというグレイツな道。 頭上は本曲輪があり、一歩でも道を踏み外せば転落する。 さすが搦め手だけあり、守りは堅い。 そこからすぐに本曲輪にたどり着いた。 依然として霧がかかっていてはっきりしてないが、見晴らしは良さそうな場所である。 しかも東屋まで設置されているゴージャスさ。 埼玉県の山城でも数城しかない東屋がこんなあっさりと置かれているあたりに長野県のレベルの高さを感じさせられる。 (ただ単にハイキングコースなのかも知れないが) しかも厠付きという!! だが・・・ここで用を足すにはちょっと出てきそうで怖い。 東屋(寝床)があり、厠(トイレ)ありと来れば水の手を完備すれば城で生活できそうだ。 石碑および解説板は三の曲輪にある。 大手口から来たらここで感動を味わうのであろうが、こちらは先ほどの厠ですでに感動させていただいている。 この先にも遺構があるのかも知れないが、戻ってくるのが億劫になりそうなのでこのまま搦め手に戻る事にした。 段々霧が晴れて、朝日が城内を照らすようになってきた。 最初霧が出ていてどうなるかと思っていたが、霧越しに照らされる朝日がなんとも美しく見えた。 その幻想的な光に照らされて、城の遺構がより美しく感じられてしまうのであった。 ちなみにこちらが晴れた平賀城。 林道が設置されていてくれたお陰で楽々城館探訪させてもらった。 場所 [0回]
太田部離山狼煙台(長野県佐久市) 長野県に入って第一に訪れた城である。正確に言えば狼煙台になる。 時間は今朝の5時、長野県は素晴らしい霧に包まれている。 離山という名前に相応しく、その狼煙台は水田にポツンと取り残されたようにある。 南側からのアクセスを試みる事にした。 QBBチーズでおなじみの六甲バター社の工場側の道を通り、普通車じゃちょっときつそうな道にたどり着く。 オフロード車でも好き好んで行かない方が良さそうな道である。 途中で意味ありげな平場が段々状に設けられている。 果たしてこれは狼煙台の遺構か?それとも? 離山の上辺りに来た所、霧がかかっていて視界が悪いが千曲川沿いの景色が一望できる。 他からもこの離山の形状が目立つため、目印になる事は間違いなさそうである。 平場はある・・・平場はあるがこれを狼煙台の遺構と決める決定打に欠く。 それにしても草が濡れていてズボンが湿ってきた。 ここなんか堀切に見えなくも無いのだが・・・ここまで曖昧な地形だと城の遺構にも見える見えないで困ってしまう。 離山を降りてくる最中、恐らく小海線の始発電車と思われる列車の通る音が聞こえた。 周囲は広々としているため音が一段と大きく聞こえた気がする。 って事で次なる場所に移動することにした。 場所 [2回]