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児玉郡の小字調査

今日は天気が雲ってイマイチだったので、最初城館まがい地巡りしてきた。
本日のターゲットは児玉郡である。

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尾根を区切る巨大な堀切・・・じゃありません。
予想するからに採石の跡だと思われる場所。
この辺りは全国でも有数の緑泥片岩の産地だっただけに近年になっても採掘された模様。
児玉郡の山はこういう場所が多い気がする。

その後もう一ヶ所行ったが、猛烈な藪で覆われていた為調査中止。
まがい地は人が踏み入れない場所だから、草木の枯れる冬場に限る。
って事で気になる場所の調査に秩父郡にちょっと足を踏み入れる。

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調査の途中で観光地である宝登山(ほどさん)神社へ。
この宝登山のある長瀞町は埼玉でも有数の観光地、でも流石に連休明けの月曜日だったので人はまばら。
個人的には空いている方が好きなので丁度良い観光をさせてもらった。

その後気になる場所の付近で聞き込み調査を敢行。
都会だと「分かりません」「知りません」の一言で済まされるのだが、秩父の皆さんはこんな自分にも暖かく対応して下さるのでありがたい事。
確かに色々と有力な情報をいただいているのはいつも秩父郡の皆様からのような・・・。

それからサラリと山越えして児玉郡へ戻る。
月曜は軒並み図書館は休館日になっているので、役所や役場の税務課中心に徘徊する。
もちろんお目当ては「こ・あ・ざ」。
こちらの方の地籍図はかなり充実していて良い、お陰でこちらの小字をコンプリートできて幸せ。
ただ、上里町は地籍図閲覧だけでも150円かかった。

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今度銅像シリーズしようかなっと思っていた矢先、元児玉町役場に塙 保己一(はなわ ほきいち)の像が。
中世の武士ではないので一枚しか撮らなかったが、こういう銅像がサイトの写真に飾れるだけでかなり見栄えが付く。
ちなみに塙 保己一とは江戸後期の学者で幼少に全盲の身になりながら学を極め、国内有数の学者になった凄い人。それもあってか本多静六博士も幼い時に祖父から「塙保己一の様に勉強すれば、目の見えるお前はそれ以上になれる」と激励の言葉を受けたとか。


・・・かくして役所終了の17:15までに小字の調査をなんとか終えた。
こちらは○○廓とか○○屋敷って小字が非常に多く、調査範囲がより広く拡大。
困ったような嬉しいような・・・でも自分の事だから嬉々として調査に行ってしまうのだろうな。

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薄暗くなった午後5時台になって、城館調査を再開。
この辺りの田んぼが中世武士の館跡だったって資料があるのだが・・・本当か??
夕暮れ時は写真がブレやすく、どうしても美しい夜景が写せない。
三脚って必要なのか。

って事で昼寝(?)して無事帰宅。
これで明日から仕事を励める、ありがとう児玉郡。

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Kiteが心悩ませる

海道・貝戸・街道・・・みんな「垣戸」に通じる地名。
ここまで「かいと」って言ってると凧のKiteを思わされてしまう。

特に急上昇調査範囲になりつつあるのが「○○貝戸」。
この貝戸の地名が付く場所は、いずれも現在宅地になっている所ばかりである。
人の住みよい地形は当然中世期にも館跡のあった可能性がある訳で、隠れた城館跡があった可能性がある。
とある山間部の地名にこの貝戸が多く所在し、山間部にあるにも関わらずいずれも斜面に人が住んでいたのは個人的に驚いている。

内手(打ち出)に比べたら攻撃的印象より防御的印象が強い。
また「○○ヶ谷戸」に比べても堂々と建物を建てていた印象が強い。
「城」と「館」の明確な区切りが無いのと同様に、屋敷地も明確な線引きはないのであろう。
でもここまで語源として共通していたという事は当時から使われていた可能性もある訳で、この辺りはどういう使い分けしていたのかも気になってくる。
それが身分階級や使用用途に準じるものであれば、その居住者の身分や用途を見分ける良い機会になるのではと思っていたり。

今は疑問符付きの貝戸。
これからそれを明らかにする資料が見つかるといいな。

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竹谷城(愛知県蒲郡市)


竹谷城所在地


竹谷(たけのや)松平家は松平十八家の一つで、松平家清が天正十八年(1590)に今の埼玉県本庄市の雉ヶ岡城に一万石を与えられた。
宝飯郡竹谷の地は南を三河湾に面しており、山の斜面に有るため海を見下ろす事のできる住み良い場所である。
それが内陸の雉ヶ岡城に移されたというのはだいぶ環境が変ったと思える。
そんな竹谷に今回訪れてみた。


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竹谷城の場所は大体分かっていたが、どの辺りにあるのかは具体的に把握していなかったので探すのにちょっと時間がかかった。
おそらくはこの丘になっている所だろうと目星をつけていたが、後日調べてみて正解だと分かってほっと一息。
この辺りの道は狭く、車を停める場所に困ったので某ショッピングセンターに停めさせてもらった。
では早速内部の状態を調べにいこう。

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北側に道があったのでそれを通っていく。
一応削平された腰曲輪のような部分にたどり着いた。
比高差が10mぐらいしかないので楽々行けるようだ。

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少々分かり辛いが虎口のような場所もある。

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着いたそこは栗畑(?)であった。
もっとも藪か民家に比べたら調査しやすので助かる。
そんな事で周囲を調べてみたものの、地形では一番高所にあるものの、堀などの遺構は見受けられなかった。
だが、端部には僅かながら土盛(土塁?)もあるようである。

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変ってこちらは南側の光景。
フェンスに囲まれているところがあり、ここは調査するのは控えた。
後でこの場所をネットで調べたら石碑もあったようだが、今回はそれを見逃していたようである。

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城とは直接関係無いが道路脇に朝顔が咲いていたので記念撮影。
でも朝を過ぎても咲いているので昼顔か?
青紫の良い花を咲かせていたのでちょっと見入ってしまったのであった。

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長沢城(愛知県豊川市)


長沢城所在地

長沢松平氏は三河国宝飯郡長沢の出で、埼玉県とは徳川家康の従兄弟の子である松平康直が武州深谷城に一万石で入城している事でゆかりがある。
では早速行ってみようとしたら・・・思い切り国道一号線で交通渋滞に巻き込まれ、予想以上に時間がかかった。

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長沢城内は国道一号線が貫通してしまっており、その部分は破壊されている。
しかしながらその名残は残っており、南側に突き出た尾根を利用した城であると分かる。

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破壊された尾根の一角には長沢城碑があり、今は石蓋で閉ざされた井戸もあるようだ。

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移動してこちらは旧東海道。
長沢城は御殿としても使われたようで、右にある長沢小学校はその跡地に建てられたという。

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長沢小学校の法面には長沢城に関する解説板があり、付属している地図には幾つかの堀に囲まれた長沢城の姿が描かれている。

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もっとも城らしい面影を残す場所はこのお堂の辺りになる。
お堂の背後には国道1号線が走っており、風景に似合わず車の走行音が絶えず聞こえてくる。

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この辺りには手を加えられたような跡が残されており、城の一角として使われた痕跡が残されている。
もうちょっと調べたかったが季節柄で蚊が大量にまとわりついてきたので、この場は撤退。

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最後にコンクリート橋なのに名前が「土橋」。
ツッコミが入りそうな名前だが、以前は本当に土橋だったのかも知れない。
近くには御殿の名残を残す「御殿橋」も架かっている。

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牛久保城(愛知県豊川市)

牛久保城所在地

三河国牛久保は後に上州伊勢崎に藩を開いた稲垣若狭守長茂(埼玉県の資料では長重って書かれる事が多いような)の生まれ故郷で、埼玉県旧江南町の須賀広に領地と陣屋を持っていた事にちなんで探訪した。

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牛久保城に程近いJR牛久保駅に来た、駅舎は一昔前の作りのようで鉄道ファンにはこういうのが好まれるのかもしれない。
夏休みの早朝ゆえか誰も居なかったのが印象的だった。

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ここに来るまで忘れていたが、ここは甲斐武田氏に仕えた山本勘助の生まれ故郷であった。
数年前に大河ドラマの主人公になっただけに、当時は多くの人がきた・・・かも知れない。
では牛久保城へ向かう。

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牛久保駅を出て右に線路沿いに歩いていくと踏切があり、その踏切を渡ると牛久保城。
うーん、徒歩数分の立地条件なので訪問のしやすさは良いかも知れないが・・・遺構の保存状態は良くなさそうだ。

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線路と病院に挟まれた緑地に牛久保城を示す碑が建てられている。
遺構を示すような物はこれぐらいのようで、その殆どが市街地になって喪失しているようだ。

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来たついでだったので、山本勘助の墓へお参りしてきた。
牛久保城から程近い長谷寺(ちょうこくじ)の境内にあり、道路にも表示されているので歩いていれば行き易い。
そんな近距離なのに車で移動したために、今回は駐車場が時間が早くて開いてなくて、車を停める場所に困った。
結局近くのコンビニに朝食を買いがてら、車を停めさせてもらったのだった。

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